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祝福の鐘が、高らかに鳴り響き/R:2

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 空は、どこまでも青く澄み渡っていた。それはもう、嫌味なくらいに。
 下を向いて歩けば、憎たらしい空を見なくてすむけど、下を向いて歩いたら歩いたで、ただでさえ下降気味な気分が更に下がる気がしたので、仕方なく上を向いて歩く。
 やっぱり、空はどこまでも青く澄み渡っていた。それはもう、本当に、嫌になるくらいに、あたしとは正反対の色で染まっていて。
 涙色にしか見えなかった。

 ――この後、どうしよう。

 ふと、歩道の隅によって立ち止まる。何も考えなしにファミーユに行って、仁が嵌ってしまって、出て行って、あたしは所在無さげに出ようとしたところを、板橋さんにつかまって、半分程度まで暴かれそうになって。それで、こんな気分になって。
 今日は厄日だ。間違いない。
 厄日だからこそ、家に帰って布団を被って寝るべきだとは思ったけど、そうしたところで寝起きは最悪になるのは目に見えてわかっているので、あたしは気を紛らわすために、適当に、当てもなく、散策してみることにした。

 なんやかんやで、散々通った地域。目を瞑ってさまよってみた所で、知っている場所にしか出ない。気も紛れない。
 でも、あたしは適当に、本当に何の目的もなく、歩いた。歩き回った。そして。

「……よりによって、ここ、か……おまけに、このタイミング、ね」

 最悪の場所に、最悪の時にたどり着いた。
 一瞬、目の前で繰り広げられているホームドラマのような光景に目を奪われるも、視界を遮るものがないことに気付き、慌てて小道に隠れる。
 隠れて、しゃがみこんで、深呼吸一つ。右手を胸に当てて、心拍も抑える。
 その間も、彼女の声、そして派手な打撃音が耳に突き刺さる。

 花鳥さんが、仁を容赦なく打ちのめしている場面だった。
 ファミーユ本店、跡地の前で。

「……なんで、なんでここに来ちゃうかなあ、あたしは……」

 しゃがみこんでいるのもだるくなり、ブロック塀にもたれつつ、あたしは地面に腰を下ろした。汚れるのも、別にどうだっていい。

 もう、何もかもが、どうだっていいんじゃないかとまで思ってしまう。

 あたしが小道に座り込んで、ぽけーっと空を見上げてる間、花鳥さんは怒気を叩き売りし、それから悲しみの表情を浮かべた後、破顔した。おかしいなあ、ずっと空、見上げてたはずなんだけどな、なんて自分で自分を誤魔化しながらも、やはりずっと観察していたんだという事実に気付いてしまう。

 彼女は、百面相だった。怒って、悲しんで、泣いて、笑って。どうしてあんなに綺麗に、素直に感情をぶつけられるんだろうかと、不思議に思う。私には出来ないこと。才能の一つ。
 最初、彼女の部屋で話したときに、この人はあたしと同じタイプの人なんだと薄々感じた。真面目で、融通が利かない。そして……仁に対して、あたしの持つモノと同種の感情を抱き始めている、とも。本当に似たもの同士。ただ違うのは、

 素直になれるか、なれないか。きっとその差。

 自分の呪わしき左腕を見る。見ただけで、もう胃がむかつくくらいの満腹感を得てしまう。それはもう、見事に質の悪い油で揚げた脂身だらけのカツを食べたときのような。

 ふぅ、と再度空を見上げる。仁と彼女を見るより、後ろにあるファミーユがあった場所を見るよりも、幾分ましだった。

「言っちゃえば、よかったの、かなぁ……」

 自然と、心の中に渦巻くものが、言葉になって口を突いて出てくる。
 後悔、そう名づけられた感情。

 言ったところでどうにもならないことはわかっていた。それよりか、あたしを頼りにしていた仁が、何処かで一本の線を引いてしまうこともわかっていた。その線はきっといつまで経っても消えず、越えられない一線として、あたしと仁の間に存在し続けるであろうことも、わかっていた。

 だったら、もう友達のままの方がいい。
 あの時、そう納得させて以来、ここまでやって来た。
 はずなのに。

『君がそんなに泣きそうな顔になっているのに?』

 先ほどの言葉が、もう一度蘇る。
 納得してたはずなのに、なんであたしは……

「泣きそうになってるの、かなぁ……!」

 ――空はやっぱり青かった。



 頃合を見計らってもう一度除いてみると、二人が手を繋いでどこかに行く場面だった。手前の会話から察するに、キュリオの本店へ、ヘッドハンティングを実行するために行くのだろう。
 ご苦労様、と誰に向けたのかわからない皮肉を、存分に吐き捨てた。

 姿が見えなくなってからしばらく置いて、あたしは立ち上がり、一人、ファミーユ跡地の前に立ってみた。
 ズキン、と、痛まないはずの左腕が、うねりをあげて痛みだす……ような感覚に襲われる。自然と右手を左腕に添え、じっと、今は何も建っていない地を見る。
 脳裏を、あの日からの一週間が駆け巡る。それは龍の如く、うねり、狂い、あたしの心臓をきつくきつく締め上げる。

「っ……」

 あたしのいた店。あたしの居場所。
 仁がいて、恵麻さんもいて、明日香ちゃんにかすりさんもいて。その輪にあたしがいて。
 ずっと続くと思っていた時間は、あの日に、卑劣な犯行のせいで進むことを止めてしまった。
 店と、あたしに流れていた時間が。

 誰を恨めば正解だったのだろう?
 放火犯? 仁? 恵麻さん?

 きっとどれもが正解で、はずれ。だから、仁という正解にしてはずれを選んでしまったあたしは、もう戻れない。

 強く、左腕を握り締める。だけど痛くない。痛くないから余計にイタイ。

 気分を紛らわせるはずなのに、更に悪化する事態になってしまったことを嘆きたい心境に駆られる。だけど、ここに来てしまったことがある事実をも表していることを、気付いてしまわないようには出来ていなかった。見逃したかったけど、一度意識してしまった以上、どうしようもなくなってしまった。

「本当に、しょうがないなぁ……あたしは。はは……」

 なんてことはない。
 仁があたしに依存してるだけじゃなく、あたしもどっぷりと、仁に依存してしまっているのだ。
 こんなにも好きでたまらないのに、頼られるあたしに戻れない以上諦めなくちゃならなくて、だけどその原因があたしを放ってしまった仁にあるからって、憎しみも募らせてしまって、色んな感情がせめぎあっている。

 本当に、しょうがないんだ。涙を流すことも


 結局、その場にかなりの時間居座って、ようやく心の安静を取り戻した後に、あたしは家に帰った。
 どうやっても気が晴れることがないのはわかっているけど、少しでも晴らそうと、暖房のスイッチを入れた後に服をゆっくりと脱ぎ散らかし、シャワーを浴びる。
 熱い湯を浴び、思考回路がゆっくりとほぐれていく。どうせなら、汚れだけでなく、内部のあれこれも流し切ってくれたらいいのにと願ってみるも、叶うわけはない。
 浴室から出て、もどかしさに慣れてしまったのが苛立たしくてたまらないタオルで水滴をふき取る作業を終え、そのまま部屋に戻る。先ほど脱ぎ散らかしたものは洗濯機に放り込み、代わりに籠の中から、適当に重ねておいた乾燥済の衣類を取り出す。暦上は既に春、実際の感覚でも初春に近いこの時期、ショーツにボタンシャツ一枚ではたとえ暖房を入れていたとしても寒いので、下にジャージを追加オーダーで着ておく。

「ふぅっ……」

 髪を乾かすのもそこそこにして、ベッドに身を委ねる。自然と溜息が零れるが、いちいち迷信を信じるほどにまで沈んではいない。

「この先、どうしよう、かなぁ……」

 目下進行中の悩みが、先ほど目にした光景と肩を並べて歩いてくる
 この先きっと、仁の周りであたしの立てる位置はなくなる。花鳥さんは優秀だから、そのうち彼女に頼ることになるだろう。頼られることのないあたしは、ただの友達でしかない。バイト仲間でもない、ただの友達。そうなって、あたしは……

「……やっぱりダメ、か」

 はは、と力なく笑いを零してみる。何も解決されない。
 そろそろ決めなきゃいけない時が来たのだろう。あの日以来、止まってしまった時間を進めるため。その方向は……躊躇しても、仕方がない。仕方がないのだ。もう、仕方がない。

「仕方、ないんだよ……っ」

 うつ伏せになり、枕に恨み言をつらつら吐き出しても、やっぱり仕方がない。

「あたしも、仁離れ、しなきゃ」

 脳裏に恵麻さんの姿が浮かぶ。
 憎しみより先に、ああなりたくはないなあ、という、申し訳ないけど反面教師的な意味合いを感じた。
 中途半端はダメ。やるなら、徹底的に。でないと、ああなる……
 ならば。

 すること、しなきゃいけないことが決まり、あたしの頭の中はフル回転を始める。
 今日はもう外に出たくはないので、明日、外に出てしなければならないことをピックアップしていく。その作業は、酷くあたしを陰鬱にさせたが、このままでいるよりはいくらかましだと確信もした。

 やるべきこと、やらなければならないこと。メモを取るまではしたくなかったので、暗唱三回で記憶したあと、うつ伏せから仰向けに戻り、布団を被る。
 まだ空は青い。本格的には寝入れない時間帯。

 ――まあいっか。昼寝ということにしておこう。

 あたしは目を瞑った。
 よくわからない疲れが、あたしを眠りの底へと押し沈めていった。



 ――あたしは、夢を見ていた。

 夢を見ながらにして、夢を見ているんだという自覚がある夢。いわゆる明晰夢。
 映像が映し出された瞬間から、自覚があった。

 ――最初は、あたしと仁がいた。
 ――何故だか、恋人同士のような行動を、二人して取っていた。

 最悪の光景だった。

 ――仁があたしにつきっきりで、リハビリや日常生活を手伝ってくれていた。

 今この時点で、間違いなく最悪といえる光景だった。

 ――やがて、あたしの腕は治り、子供が産まれ、二人して泣きあってるシーンが流れて、

 粉々に、砕け散った。
 その後、あたしはひたすら一人で、苦しんでいた。ずっと、それが続いた。

 前者は、あたしのかつての夢。
 誰か好きな人……この場合は仁と、結婚し、一緒に生活し、子をもうけ、幸せに過ごす。本当にささやかな夢。
 後者は、おそらく現実にして未来。この先待ち受けてる道の一つ。何かがあれば、あたしはあんな風に、惨めな人生を過ごすのだろう。

 それは、嫌だ。だけど、仁と一緒にいることは、もう望めない。
 そう、もう望めない……



 目を開ける。
 開けっ放しのカーテンから、紅光が部屋へと差し込んでいた。
 眩しかった。ただただ、眩しかった。

「……さよなら、仁」

 あたしはそっと、右手で濡れた頬を拭った。


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