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祝福の鐘が、高らかに鳴り響き/R:3

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 いつの間にか、部屋の中にはあたしと仁だけが残されていた。花鳥さんも、板橋さんもいない。仁はうなだれ続けている。あたしは……あたしは、どうすればいいのだろう? 何だか、ここ二日間で色々なものを失ってしまった気がする。何が消えていったのかはわからないけど、とても大事なものを、いくつも、いくつも。
 これが終わったらどうしよう。予定通り、大学に退学届けを出して、実家に帰ろうかな。もう東京に戻ってくることも戻ってくる必要もないだろうし。これで、あたしは嫌われものになったんだから、何より仁に嫌な顔をされるのは嫌だから、会う必要も機会もない浜松に引っ込んでれば、それでいい。母さんには悪いけど、しばらく厄介になって、いつかここ三年近くのとても素敵な……そして最悪な日々も忘れて、別の人生を歩むことになるだろうし。うん、それでいい。それがいい。

 ……こんな風にして、無理矢理に自分を納得させて、この場から立ち去ろうと努力してみた。だけど、足は一歩も動いてくれやしない。涙も止みはしない。

『仁のことが好きだから、許せなかったんですよね。今も、ずっと』

 花鳥さんの言葉が、あたし自身をきつく縛り続ける。よく言われる“真綿で首を締め付けられる”というのは、きっとこんな感じなのだろうか。ゆっくりと、確実に、心とかいうよくわからないものを苦しめていく。

 今も、ずっと、あたしが? そんなことはない。昨日、もうさよならした。だから何にも思い残すことなどない。
 じゃあ、何がこんなにあたしを苦しめるの? 

『そのくらいのあやふやなラインにわざわざ設定したのは、それは夏海さんが――』

 あたしが、何?

「何を願って――っ!!?」

 ――自分の口から飛び出た、正真正銘あたし自身が発したその言葉。
 残念なことに、あたしは言外に含めてしまった意味まで正確に理解してしまった。

 大馬鹿モノだ。しっかりと願っているじゃない。
 大嘘吐きなんだ。誰も彼も、自分ですらも。

 あたしは、未だに仁が好きで好きで仕方ないのだ。

 「ねえ、仁」

 意を決して、未だに一言も喋らない仁へと向き合う。あたしが声をかけると、びくんと身体を震わせ、死刑執行宣告を待つ罪人の如く強張った表情を浮かべていた。そんな顔、しないでほしい。

「どうして、こうなったんだろうね」

 しないでほしいのに、ポロリとこぼれてしまったあたしの言葉は、仁をますます苦しませてしまう。ダメだ、頭がまともに動かない。先程の涙とともに、思考回路も流れ出てしまったらしい。その代わりにあたしたちがファミーユの本店で働いていた頃の記憶が、縁起でもないが走馬灯のように駆け巡っていく。

 ……どうしたもこうしたもない。全部、あたしが悪い。駆け抜けていった記憶の欠片達が証明してくれている。仁と素晴らしい時間を共有できていたのに、それを贅沢に独り占めしようとしてしまったあたしの我が侭が、バランスを崩した原因なのだ。

 仁のことを許せなかっただけじゃない。そういうことにして自分自身を振り返らなかったあたし自身を、許せなかったんだ。

 笑いたい。全てを笑い飛ばしてしまいたい。
 だけど顔は笑ってくれはしない。代わりに、一度は止まったはずの涙が、再び頬を伝っていく。

 帰ろう。このままだと本当に大事なものを失ってしまい、代わりに手に入れてはいけないものを手に入れてしまう。早く帰って、退学届け作って出して、そして実家に帰ろう。
 足、動く。

「……さよなら、仁」

 振り向かずに、部屋の外への第一歩を何事もなく踏み出す。
 一歩、二歩、三歩と進みドアノブに手をかけたところで、あたしはそれ以上の行動をすることができなくなった。

「待って、くれ……」

 何も感じないけど、左腕がこれ以上進むことを妨害していた。見ると誰かに掴まれているのがわかる。痛くないはずなのに、掴まれた部分が痛い。
 仁はうなだれたまま、だけど精一杯腕を伸ばして私を捉えていた。俯きっぱなしだから顔色はわからない。

「離して。もう、行かせて」

 懇願しても、腕は離れてくれやしない。
 捉まれた部分が、熱い。

「痛いよ、仁。痛くない……はずだけど、痛いよ」
 それは、よくわからない感覚だった。

「行かせるわけには、いかない」
「なんで、仁は花鳥さんを選んだんでしょ? ならあたしを離してよ、もう行かせてよ!」
「……今里伽子を離したら、二度と俺たちの前に現れなくなるだろ。なら、離すわけにはいかない」

 仁が言っていることは、きっと本心なのだろう。あたしの心を強く、強く揺り動かす。だけども受け入れるわけにはいかない。

「勝手すぎる、勝手すぎるよ。そんな勝手なこと言わないでよぉ!」
「わかってる。俺は今、むちゃくちゃを言ってる」
「わかっててなんで!?」
「それは……」

 仁の手が、小さく震えていた。振動は、何も感じてくれない腕を伝って、心臓に、脳に、仁の様子を体感的に教えてくれている。
 きっと、仁は何かに苦しみながら言葉を発しようとしているのだろう。
 あたしは何も言わず、動くこともせずに、じっと仁の言葉を待つ。

 しばしの時を経て、発せられたのは。

「……それは、里伽子は、俺の友達だから。友達を助けるのは当たり前だから」

 それは小さな呟きだった。仁の、苦渋に満ちた呟きだった。

「とも、だち……?」
「そう、友達。だから、助ける」

 仁の腕に引かれ、腕と胸の間にすっぽりとうずまる形になる。顔と顔、体と体が近い。仁が発するすべての音・熱が伝わってくるかのようだった。震えて落ち着かなかったあたしの心の中身が、ゆっくりと静まっていく。

「友達だから、その腕が治るのを手伝うし、不都合。お願いだから、それくらいさせてくれ、いまさらだけど、それくらい頼ってくれ……」


 友達。トモダチ。


 世間一般で普通に使われる単語だけども、この場ではすべてを無理やり解決してしまう魔法でもあった。今までのすべてに上塗りして、これからを作り出す魔法の言葉。あたし自身も治してしまう、素敵な言葉。
 だけど。
 花鳥さんの姿が不意に脳裏に浮かぶ。

「でも、ごめん。友達でも、やっぱり仁には頼れないよ」

 右腕でそっと仁を押し、身を離す。これは拒絶の意思表示。
 すべてに気づいてしまった今のあたしは、仁にとって、そして花鳥さんにとっての爆弾にしかならないから。

「なんで、なんでなんだよ里伽子ぉ……」

 仁の、痛切な叫びが背中に突き刺さる。
 この人はわかっているのだろうか? あたしを助ける、手伝うということはつまり、

「……仁には、花鳥さんがいるでしょ?」

 彼女を放ることに等しい。それはあまりにも
 鈍感な仁も、さすがにこれには気づいたようだった。一つうめき声を上げた後、うつむき、うなだれたまま動かない。

 手詰まり。もうこれ以上、あたしと仁を結びつけるモノは存在しない。
 ……ほら、やっぱり大事なものを失ったじゃない。

「腕、治るかどうかは知らないけど、あたしがどうにかするから。あたしが、一人でどうにかするから」

 どうにかする、と口で言ってはいるものの、どうにもならないのだろうとわかっている。わかってて、逃げるために一人で治すなんて言っている。
 ……まあ今だけだ。実家に帰って、ずっとのんびりしていよう。

「さよなら、仁。あんたは本当にいい奴だったよ……」

 後ろを振り向くことなく、あたしは再度ドアへの一歩を踏み出した。ドアノブに手をかけ、ゆっくりまわす。

「……さよなら」

 最後にもう一度だけ呟いて、ドアを開けようとしたそのときだった。



「なら、私が手伝うわ。それなら問題ないでしょ?」

 ドアが開け放たれた直後、あたしの耳に飛び込んできたのは、優しい言葉だった。


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