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Let it be/六話

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 上を向きながら夕焼け小焼け道を歩いていたら、軽く溝へダイブするところだった。寸でのところで小刻みにステップを踏んで回避したら、遠くにいたガキンチョたちが笑いやがったのでがおーと威嚇して追っ払う。今時がおーってなんだと激しく後悔。
 御崎は何だか買い物をするとか言いながら駅で別れた。どうやら今晩は彼女が作ってくれるらしい。何でも、

『健に料理で負けるのは、勝ち負け以前にすっごい癪』

 だとか。日本語おかしいというツッコミはスルーされた。まあ、今まで全部やってきた分の負担が単純計算で半分になるわけだから、これは非常に喜ばしいことである。

(って、待て待て……)

 喜ばしいことであると気付いて、数行前の自分の思考回路のログを漁ると“今晩は彼女が作ってくれる”なんていう文面が乗っかっていて、こそばゆさやまどろっこしさと共に、よくわからない重さに潰れそうになる。一日経ってある程度は慣れただろう、と思っていたらやっぱり慣れていなかったりするのだから、人間の学習能力は案外低い。俺だけ低いとは思いたくない。
 歩みが止まっていたことに気づいて、再度家に向かって歩き始める。上を見るのは止めにして前を向きながら。流石に2度もがおーとは吼えたくない。
 ふう、と溜息を一つ。あるがままに、なんてことは出来ない。ないの連続だが、それも気にしない。

 チン、と無機質な音を立てて扉が開くエレベーター。見慣れた空間に飛び出して、自分の家の鍵を開ける。次いでドアを開けたとき、内側からいつもの我が家とは違う雰囲気が流れ出て、脳裏を刺激してきた。何だろうと玄関先で逡巡して、はたと気付く。
 自分だけじゃない家。誰かと一緒に住む家。
 たった一日、御崎が自分の荷物を持って部屋に居を構えただけなのに、昨日15時まで持っていたはずのモノが変質して、俺を包み込んでいる。変質した、なんて言い方だと悪い影響じゃないかと勘違いしそうだけど、違う。上手く言い表せる言葉はないものかと検索して、案外あっさりと見つけた。
 あったかい。そう、温かい。一人ではない、それは温かいこと。
 何時ぞやに母さんが亡くなって、馬鹿たれ親父が外国を飛び回るようになって、家にいるほぼ全ての時間を一人で過ごしていた。最初のうちは、それが嫌で嫌で仕方なかった。ぽかんと空いた空間。たった一人でいることから来る寂寥感。色んなものに悩まされては、時折帰ってくる親父に文句を言っていた。だけどいつの間にか感覚が鈍くなっていて、一人でいることに慣れてしまっていた。慣れは、ヒトの変化を止めてしまう。
 温かさに気付けた、ということは、まだ俺も慣れきっていない――冷え切ってはいない、ということだろうか。だとしたら、今一番人の温もりを必要としている御崎に対しても、きっと温かさを与えることが出来る。誰かが聞いたら噴出しそうな青臭い考えだけど、必要ならば自分が恥をかいても構わない。同じ境遇に出くわさなきゃ、わかるわけない。

 いつまでも玄関先で突っ立ってるのはアレだ、と気付いていそいそと中に逃げ込む。ドアを閉めると、より強い匂いが室内に充満していた。ドアを開けたときに気付いたのが温かさなら、これは紛れもなく匂いだ。朝には気付かなかった、御崎が同じ家にいるという匂い。温もりが心を癒してくれるなら、これは……

「うわ……最悪か、俺は」

 なんとなくある部分が居心地悪そうにしてるなーと感じて確認してみたら、やっぱり居心地悪そうだった。そりゃ思春期なんです仕方ないんです、と心の中で絶叫してみても、納まっちゃくれないし言い訳にしかならない。
 女の子の匂いは、犯罪だと思う。普段意識してる子だろうがしてない子だろうがそれが例え御崎だろうがお構い無しに、脳天直撃。湯浅専務も藤岡隊長もお構いなし。ソニーも戦く恐ろしき戦闘力。スカウターだって壊れるに違いない。パニくる頭の中とは対照的に、思春期はいたって冷静に自己主張。余計泣けてくる。人ほど性欲は持ち合わせていないつもりだったのにこのざまである。よっぽど元気なのか、あるいは俺自信がピュアボーイなのか。後者は柄じゃないので却下したいが、前者は前者でお猿さんじゃないんだから、と拒否しておきたい。どうやら、昨日は精神的にも肉体的にも疲れていなかったので反応しなかったらしい。今日は精神的にしか疲れてないので、元気なところは元気になるのだろう。分析してみて鬱のオーダー追加。
 ここまで来て初めて、「女の子と同居する」ということの重大さに気付いた。……今日は気付いてばっかりだけど。今まで考えていたのはあくまで「御崎と同居する」であり対象は個人だったのに対し、今度は「女の子」だ。普段考えもしない性別というワードが頭の中をグルグル駆け回っていく。色んなことに気をつけないと、(自分の精神衛生的にも)相当にやばいんじゃないか……ある程度やばいと思われることをピックアップして、それを実行しないことを一人で誓う。とりあえず、ベランダと脱衣籠には近づかない。ダメゼッタイ。

 とまあ、人並みに思春期な考えを巡らせたところで、未だにアレなアレに再度目が行く。どうやら、やばいと思われることをピックアップした辺りが活力になってしまったようだった。時計を見ると帰ってきてから十五分経過。御崎が帰ってくるまでまだまだ時間はあるだろう、多分。

「……情けないけど、仕方ない、よなぁ……」

 御崎が帰ってきたときまでこのままだったりしたら非常に困るので、ひとまず着替えてから部屋に篭って欲望を白紙にサヨナラすることにした。

 だけど結局、コトの最中に御崎の姿が浮かんではかき消すのに必死で、玄関の鍵が再度開けられたときには精神的な疲労“だけ”が溜まっていた。

 

「ただいまー」

 玄関先から御崎の声。時計を見ると18時半。家に着いたのが確か17時前なので、実に1時間半も妙なプレッシャーに押されていた、ということになる。泣きたい。泣きたいけど、今何している最中だったけかと直近のことを思い出して、いそいそと片付ける。空しい上に、何だか非常に、困る。

「健介ー、いるんでしょー? いるんだったら返事くらいしてよねー」

 いやそれが簡単にできないんですよ奥さん、と口にしかけてどうにかこらえた。男には男なりの事情があるんですよ、とは流石に声高に叫べない。
 と、いうか。
 昨日うちに来たばっかりだというのに(更に言うなら、確実に御崎の心を傷つけた出来事があったというのに)、もう帰って来たら挨拶を自然に言えているというのはすごいことだと心から思う。こちらは色々と意識しないよう意識するという矛盾めいた状態に陥っているというのに。向こうは意識してないんだろうか? というかそんなことを考えるってことは俺、もしかして残念に思ってるとか? なわけないか。

「あー、いるから、ちょい待て。色々と忙しい」

 主に、身だしなみを整えるのに。いそいそと立ち上がってその時点でまだ制服のままだったということに気づき、流石にこんな時間まで制服でいるのはおかしいなあと慌てて着替えようとしたとき、というかちょうど上下ワンセットを脱いだとき、

 ガチャっとドアの開けられる音。

「人が帰って来たらただいまでしょって習……」

 瞬間フリーズ。
 俺、ステキな下着姿。しかもちょっぴり汗かいて。誰もほれぼれしないはずだけど。

 場に、二組の視線が交錯する。片や俺に注がれ、片やどこかへスキップアウェイ。そりゃあ、逃げたくもなるさ。というか、いい加減動き出してほしい。

「あ、えーと、その……」

 およそ一分。御崎はようやく視線を何処かに向けなおして、殊勝なことに下を向いて顔を赤くして口をもごもごしだした。正直、この手のイベントはまったくもって望んでなかったんだが……どうしたものやら。

「……とりあえず、一旦部屋出てくれ。話はそれからだ」
「わ、わかった」

 ガチャっとドアの閉まる音。はぁ、と溜息一つを深く深く吐き出して、いそいそと着替えを再開した。



「まー、アレだ、一応ノックはしよう、な?」

 ずずずと御崎に淹れてもらったコーヒーを啜りつつ、こっそり沸き起こる罪悪感を押さえつけつつとりあえず注意喚起。タイミングが少しでも早かったらと思うと……考えたくもない。むしろ死にたくなる。デッドラインから滑り込みセーフ。

「う、うん……その、ごめん」
「まー、別に気にしちゃいないから。逆のパターンじゃなかっただけましとしよう、うん。逆だとシャレにならんからな」
「あー、うん、あー……」
「……ん?」

 適度に茶を濁して、互いの今後のためにもこの話題を打ち切ろうとしていたら、御崎が何処吹く風状態であることに気付く。

「あのぉ、御崎さーん?」
「え、あ、うん、その、ごめん」
「……お前は何回謝れば気が済むんだ。一回でいいよ、たいしたことじゃないし」

 ……おかしい。
 少なくとも、俺の知る御崎真衣という人物はこんなに殊勝な人間じゃあない。ここで黙られても、俺が困るし。

「御崎、どうした。さっきからかなり様子がおかしいんだが」

 仕方ないので、原因探求。この先、少なくともしばらくはうちに住むんだから、あまり溝は作りたくない。埋められる距離は今のうちに。“家族”なんだし。
 ……自分のことを棚にあげてる気もするが、それはそれ、これはこれ。

 俺の問いかけに対して、御崎はしばらく逡巡する様子を見せたが、じっと動かない俺を見て、ようやく話し始めた。

「その、何ていうか……健介と暮らし始めるんだなあって、今更ながらに実感しちゃって、その……」

 ぎくっ。
 背筋が激しく強張る。どうやらそれはそれ、これはこれが通用しないお話だったらしい。本当につい先程、自分でも実感したネタだけに鮮度も新鮮だった。額に手を当て、何も喋れなくなる。

「あー……」
「うー……」

 視線を明後日どころか再来年くらいに向け合って硬直する約二名。こんなときにまですらすらと動ける奴がいるとしたら、場慣れしすぎて嫌みったらしい奴くらいだろう。どんな奴かは想像したくもないが。

 さて、どうしよう。
 このまま固まっていたところで、不愉快なラブコメ展開にしか繋がらなくなるし、その相手が御崎ってのもどちらかといえば願い下げたい。この先俺らは、家族として築きあげられた関係の中にしばらくは潜むのだから。ほら、義妹相手にラブコメ展開っていうのは、あまりにもお約束展開すぎるしネタにもならない。冗談じゃあない。

 バシンと自らの頬を一閃。痛みで無駄な思考を排除。

「まあ、昨日も言った気がするが、この家にいる以上俺らは家族なんだ。法律上とか兄妹だとか姉弟だとかそんなもん関係無しに、住む家を同じとする人間同士の関係、それがきっと……ちょっと意味は外れるかもしれないけど、家族、だろ。もう一回繰り返すが、どんな因果かは知らないが俺たちは家族なんだ。OK?
 なら、そこまで気にする必要はないだろ。たまには、そりゃ今回みたいな事故もあるだろうけど、この先最低限のプライバシーを守れば、それでいいんだし。
 ほら、家族だと思えば、オールオッケー。違うか?」

 なんだか、強引に話を進めすぎた気がする。おまけに、やたらと口を突いて出てきた、家族という単語が、自分をも戒める足かせになったような気がした。なぜそう思うのかはわからない。
 だが、今この時点では、これが正しいことだと思う。時がたって、多少なり関係が変化したなら、その時はその時だ。だいたい、変化するってどんな風に変化するんだか。

 俺の話を聞いていた御崎は、しばらく目を瞑り、表情をめまぐるしく変えた後、一言だけ、

「わかった。今度から気をつけるね」

 と言った。その口調に、何故か胸に棘が突き刺さるような感覚を覚えたのは、自分の気のせいだと思うことにした。


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