>TOP >ls >page

Let it be/七話

前ページ 作品トップ 次頁


 なんだか、御崎の機嫌が少しばかり、とは言えない程度に悪くなった。昨日の一件の後、晩飯時も食後の団欒時も就寝前も寝起きも朝食時も、一切言葉を交わしてないというのだからある意味露骨。こちらから話しかけようにも、身に纏っているオーラに気圧されて声をかけられない。

「あ、あの、御崎さん……?」
「……」

 一事が万事、万事がこんな感じ。気合入れて話しかけてもあっさりスルーされてこちらはションボリ。その割に夕食、朝食共に作ってくれたから更に不思議。毒とか入ってるわけもなく(当然だが)、普通に旨かった。それを告げても「……」とまあ三点リーダの多用ばかり。どうせいっつーねん。おまけに、話かけても無視するくせに、物理的な距離は割と近くにいることが多いから更に困ってしまう。

 解決しないまま、時間は過ぎる。平日な以上、当然高校へは行かなきゃいけない。
 御崎はどうするんだろとそれとなく何気なくなんとなく観察していると、着替えも終わってスタンバイオッケイの状態で、どうやら俺と一緒に行くらしい。こちらとしては気まずいけど、かといってただでさえ周辺状況が不安定な上に、感情すら不安定っぽい御崎を一人にするのもどうだろ、と思うので仕方なく一緒にマンションを出る。
 見慣れた歩き慣れもした駅までの道を、ひたすら無言で歩いていく。御崎は一定の距離(具体的に言うと六十センチくらい、って本当に具体的だ)をあけて、真横でついてくる。しゃべりながらでないため、歩くスピードを合わせるのも大変で、意図して少しだけ歩幅を小さくして歩かなければならない。
 なんなんだか。全く喋らない御崎というのは、普段の姿からこれっぽっちも想像できず、ギャップも合さって非常に掴みづらい。まるで……そう、粒入りマスタードだと思ったのが単なるカラシだったような……って、どうってことない違いだ、これだと。逆は嫌だけど。

「……なあ?」
「……」

 やっぱり無言。返答はこちらを厳しめに射抜く視線だけ。しかし、こちらが立ち止まると律儀に立ち止まる辺りも更に謎。もう本当に何が何だか。

(仕方ない、今日は我慢するか……)

 とりあえず、腹はくくることにした。このまま首をくくらなければならないようなことは起きないことを願いながら、改札を抜け、やってきた電車に乗り込む。ラッシュ時の電車だけあって、車内の混雑は酷い。その癖、こんな時に限って知り合いの姿一人見つけることが出来ない。誰かいれば無理矢理にでも呼び寄せてこの物理的にも心理的にも苦しい状況を多少なりとも緩和できるというのに。残念ながら現実は、ただそばに、混んでるせいでぴたっとくっつく御崎がいるだけ。しかも喋っちゃくれない。本当にもう何なんだ。

(ちっくしょ、なんでこんなときにハルはいないんだか……後で何か奢らせよっと)

 などと無茶なことを考えてもやっぱり何も変わらない。ないないだらけで軽く滅入ってくる。あれか、今日は仏滅か。仏様がいないんじゃあ仕方あるまい。使いかたが違うかもしれないけど、気にしない。気にしない間に、一駅着いてまた乗客が増える。心理的な距離感は無限大に等しいというのに、押し込まれて物理的な距離は既にゼロ距離なのがさらに縮む。さらにさらにというなら、現在御崎とは向き合ってる状況。なのでその、むにゅっとしたものが俺の体に押しつけられてよけにむにゅっとしてるわけで。
 不意に、昨日と同じ“匂い”が、ふわっと立ち上ってきて鼻孔をくすぐる。家のドアを開けて、中に入ったときに感じた、御崎の匂い。

(や、待て待て待て待て……!)

 昨日から現時点までの一連の流れのその発端となる生理現象が、再度発生する。上半身がそんな状況だから、当然残り半分だって距離感はないわけで、後から押されているのをどうにか、該当部分だけでも御崎に触れぬよう押し返すが、反動で上側が余計に押される悪循環。どうすりゃいいんだこれ。
 そうこうしているうちにさらに次の駅について、はき出すことなく電車は乗客を吸収していく。俺の空しい努力もついに意味をなくし、思いっきり押し込まれてジエンド。こちら側からも、青春の咆哮が触れてる、というか思いっきり押しつけてるような感触がわかる。

「御崎、ごめん」

 さっきから下を向いてこちらを見てこない御崎に、とりあえず遺憾の意を伝えておく。何も言わずにしらばっくれる選択肢もありはしたが、これだけあからさまに“触れ合っている”状況をスルーして、余計によくわからん状態の御崎を刺激したくもない。
 こちらの声は聞こえているのだろうが、御崎が見上げてくることはなかった。正直こっちを見られても困ったので助かったが。もうここまでくれば野となれ山となれ、である。通常の御崎に戻ったらいくらでも罵りを受け入れようと決意したところで、不意に進行方向への激しいGがかかる。

「きゃっ」
「くっ」

 慌てて吊革を掴み、もう片方の手で吊革をつかめておらず不安定な目の前の身体を抱き寄せ、他の乗客が放つ力の波に抗う。電車が止まったところで、緊急停止信号が押されたために急ブレーキを使ったとの車内アナウンスが流れる。どうせ遮断機の下りた踏切を強引突破しようとしたやつがいたんだろう。引力と斥力の渦が落ち着き、はた迷惑な話だと脳内悪態をついたところで、とっさに御崎を抱きしめているような、ともすれば“押しつけているような”事態に陥っていることに気づく。

「……わりい」

 こう、さりげなくなんとなく何事もなかったかのごとく腕を外す。対象人物はやはり何も言わずこちらを見ることもない。だけども、緊急停止しようが何しようが駅に着くまで乗車率が減ることもないわけで、相変わらず上から下までのくっつき具合も変わらない。ついでにいうと青春の力強さも変わらないしその部分の圧迫具合も変わらない。ああもう死にたい。

 そんな生き地獄と言わんばかりの時間をようやく消化し、駅について、学校までの道のりをえっちらおっちらと歩いて、やっぱり知り合いの誰にも会わないまま校舎に入って教室の中まで到着。ここまできたら、ようやく御崎は離れてくれた。そりゃそうだ、席が遠いんだから。
 監獄に入れられたかのような気分からようやく解放されて一息つく。物足りなかったので二息三息。それでも「何だかなあ」と各駅停車の旅のナレーションを呟きそうになって、もうちょっと溜息追加オーダーしとくかと思案したところで、

「……何かあったの?」

と、前から早坂。

「これで“何にもないよ?”っていったらどうするよ」
「とりあえず三白眼にして“嘘だっ”て叫んであげようか?」
「ネタが古い」

 ようするに誤魔化すことはできないよ、と言ってくれているわけだ。大変有難迷惑である。もちろん迷惑と感じる割合の方が高い。

「簡潔にまとめると、昨日色々あって、御崎の機嫌が悪い。さらにいうと通学中もいろいろやらかした」
「その色々あっての部分が大事だと思わない?」
「俺のプライベートは保護されないのだろうか」
「健よりも真衣の方が大事だから」
「聞きようによっちゃ危ないセリフだなあ」

 適当にはぐらかそうとしてたら思いっきり睨まれた。さすがに続けて「一部の層には需要があるから!」とは言えない。

「とりあえず昨日を三行でまとめるとだ、
 部屋で下着姿だったのを見られる。
 お互い気まずくなる。
 解消しようとしたらなんか機嫌悪くなった」
「……真衣のを見たわけじゃないんでしょ?」
「俺が見られた側だ」
「なら、最後の解消しようとした部分でやらかしたんでしょ。だいたいねえ……」

 moreツッコミか、というところで早坂は追及の手を緩める。顎に手を当てて考え出すもんだから、余計に続きが気になる。

「だいたい、なんだよ」
「それはまあ置いといて」
「いや大事だからそこ、置いておくなって」
「でもそんなの関係ねえ!」
「だからネタが古いっつーの」

 コントのようなやり取りになってラチがあかないので、さっさと早坂に続きを要求する。

「で、だ。何か思い当たる節があるのか?」
「思い当たるというかなんというか……いろいろ推測できるけど、健、たぶん妙な線引きみたいなの、強調しなかった?」
「線引き? なんだよ線引きって」
「ようするに、何かを決めつけるようなことを御崎に言わなかった?」
「んなこと言われてもなあ……家族になって一緒に住んでたらこういう事故も時折あるかもしれないからそんなに気にするな、みたいなことは言ったけど」
「きっとそれよ」
「はあ? 俺が逆パターンを予告したから?」
「そうじゃなくて、うーん……」

 ここまでずばずばと言葉をぶつけてきた早坂が、言いよどんで考え込んでしまう。今考えれば俺が御崎の、その、下着姿を見てしまうかもしれないという意味のとれるような言葉を放っていたのは大問題な気がするが、早坂的にはそこではないらしい。
 しばらくの沈黙。ついでに言うと窓側から視線が飛んできているような気がしたが、思わず振り向くと心理的な意味で石化しそうなので振り向かない。ダメ、絶対。
 秒針が一週するくらいメデューサの攻撃に耐えてようやく早坂が言ってくれたのは、「まあ、すぐに解決するわよ」だけだった。聞かれたあげくの解答がこれだ。

「うわ、すっごく無責任……今、俺がガン飛ばされてるのわかって言ってるんだよな?」
「ええ、それも踏まえてよ。よくよく考えたら、何か言えば解決するようなものでもないだろうし」
「で、ただ一人わかってない俺は睨まれ続けろ、と? 何そのイジメ」
「それくらい甘んじて受け入れなさい。それよりも」
「ん?」
「通学中もいろいろやらかした、って何?」

 目の前の人は、見たことないくらいに笑顔だった。こちらの身が震え上がるくらいに笑顔だった。

「いや、ちょっと」
「ふーん。言いよどむようなことってことは、そうね……いつもより五分くらい遅く学校に着いたってことは、電車が遅れたに違いない。次の電車なら十分は遅くなるしね。元から遅れてたか、あるいは緊急停止でもしたか、どちらにせよ、一緒に電車に乗ってたんだろうし……痴漢でもした?」
「んなわけあるか! だいたい何だよそのエスパーっぷりは」
「じゃあ痴漢とまでは行かなくとも、不可抗力で密着した、とかでしょ」
「……ノーコメント」

 先ほどの痴態を無理矢理に掘り出され、机に突っ伏して目の前からの追求(並びに石化光線)から逃げるくらいしか、俺に残された手段はなかった。

「柔らかかった? 大きくなった?」
「おいやめろ。俺に罵倒されて喜ぶ趣味はねえ」
「でも事実でしょ?」
「……ノーコメント」

 その後も休み時間のたびに目を輝かせた早坂にあれこれ言われ、窓側からは相変わらず鋭いモノが飛んできて、散々な目に遭った。スターオーシャンみたいなマジックポイントがなくなってもダメなタイプだったら、もう既に三回は死んでるね、俺。


前ページ 作品トップ 次頁