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Remains/before story 02

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 しばらくして父さんは無事退院。ほどけがちだった家族の絆も一つにまとまり直す。父さんが退院した日、真っ先に俺となのはは二人まとめて抱きしめられて、「寂しい思いをさせてすまなかった」と謝られた。重ねて母さんからも同じようにまとめて抱きしめられながら謝罪の言葉を受け取った。兄さんと姉さんからも、涙ながらに謝られた。家族が、温かい。一般常識として当たり前ともいえる状況だが、俺にとっては今世になってから味わえたものである。ちょっとずつ、家族の自由時間が生まれ、ご飯も一緒に食べられるようになる。ああ、家族というのはこうでなくては。“なのは”と一緒には味わうことのできなかった、貴重な空間だ。

 とはいっても、日中は家に誰もいない。父さんも母さんも店を切り盛りしなければならず、兄さんと姉さんは学校だ。年齢から考えると幼稚園あたりに通うのがお約束だが、近所の幼稚園・保育園がどちらも人数がいっぱいで一人入学できるかどうか、という状況だった。誰もいないよりは、と両親は別々に幼稚園に通うことを提案してくれたが、俺もなのはも断った。なのはと一緒にいられないなんて冗談じゃない。なので、昼間は自宅か翠屋にいるか、あるいは二人で近くの公園に行くかくらいしかすることがない。幼児の受け入れ先が厳しいのは、どの世界の日本でも同じようだった。年金問題よりもこっちを先に解決すべきじゃないかね、と思ったがまだこの時代では問題が発覚していなかった。どこかマスコミあたりにたれ込みすべきだろうか。年金を受け取る年齢まで生き残れるのかどうかも怪しい上に、一回前は、受け取る受け取らないレベルにすらたどり着けなかったのだから、無駄に正義感を充足する以外のメリットはなさそうだ。
 そんな遠い先の問題事には目を瞑るとして、目下の問題は、この有り余る時間をどう使うか、である。まだ幼稚園なり保育園なりに通っていれば、少なくとも半日はあれやこれやとやって時間が過ぎていっただろうが、そういうわけにはいかない。だもんで、なのはと二人で前述の通り家にいるか翠屋のマスコットになるか公園に行くかくらいしかすることがないのだ。それ以外に幼少期にやれることを、残念ながら俺は体験していない。まあそれでも、なのはといられるならばそれでいい

「今日はどうしよっか?」

 ちょっとした物思いにふける俺とは違い、少し明るい声でなのはが俺に問いかけてくる。その声はやはり寸分違わずなのはと同じで、もしかして同じなんじゃ無かろうかと無駄に淡い期待を寄せてしまう。そんなこと、奇跡でもないかぎりあり得ない。もうすでに、望むべくも望まざるべくも無く、俺はこうして奇跡とやらで生かされているというのに。

「どうしようか……昨日は家にいたし、外に出ようか」
「そうだね。とりあえず公園に行こうよ」

 すぐに今日の方針が決まり、家中の窓が閉まっていることを確認して、最後に玄関ドアの鍵を閉める。いくらなんでも五歳児で鍵っ子というのはどうだろうと思うこともあるが、両親からは信頼されている、と思うことにしておく。そもそも信頼してないんだったら、子どものわがままなど聞かずに、強引にでも幼稚園に別々に通わせてたことだろう。
 外出時の持ち物に財布なんてものは五歳児は持たない。あるのは鍵と、昼食ができたときに母さんからのメールが入る携帯電話が一人に一つずつだけ。携帯電話は、昨冬に出た二つ折りタイプ。色は俺がシルバーでなのははピンク。奇しくも前世において、高校時代に二人して必死にバイトをして貯めたお金で買った初めての携帯と同じ機種だ。お互いにアドレスを交換して、やっと世間の高校生並の生活ができるようになったと喜んだことは、今でも記憶に残っている。FOMAどころか画面が白黒なのも当たり前の時代。買ってしばらくしてフルカラータイプが出て憤慨したことを思い出す。今世においても、おそらく夏を過ぎたあたりで発売されるのだろうが、まさか「後でカラーのが出ますよ」などと言えるわけがないし、カラーになったところでまだパケット使い放題もない料金設定だ。imodeなんてとてもじゃないが怖くて使えない。



 なのはと二人、手をつないで目的地へ。外の遊び場第一候補であり、最終候補は近くの公園だった。そんなに広いわけでもなく、ブランコやシーソーをはじめとする遊具がいくつかおいてある、住宅地の中のありふれた公園。家からも、翠屋からも近く、時間をつぶすにはうってつけの場所だった。PTAがそこまでうるさくもない時代、遊具に「使用禁止」の張り紙が貼られたりはしていない。
 何気なしにブランコに座り、足を前後にゆっくりと漕ぎ出す。体重の移動を重ねる度に、ゆっくりと揺れ幅が広がっていく。
 横では、なのはも同じようにちょっとずつ高さを上げていた。そういえば、あの世界の”高町なのは”には運動神経が悪いような描写がなされていたが、少なくともここまでにおいて、なのはにその傾向は見られなかった。やがて、こちらと同じくらいまでの高さまで揺られて上っていく。

「なのは、楽しい?」

 何気なく、自分の口をついて出た言葉。脳裏に浮かぶのは、一人ぼっちでブランコに座っていたディスプレイの中の”高町なのは”、そして俺とともに不遇といっていい子ども時代を過ごした、愛した半身である”なのは”。三人目のなのはは、どうなんだろうか。

「うん? 楽しいよ?」

 ブランコを漕ぐのはやめずに、なのはは答えてくれる。

「だって、なおとと一緒だから」

 嬉しい言葉とともに。

「そっか」
「なおとはどう? 楽しい?」
「楽しいよ。なのはと一緒だから」
「そっか」

 反対向きに帰ってきた質問に、自分もなのはと同じ答えを返す。
 楽しい、という言葉。どういう意味を持ち合わせているのか。少なくとも、なのはの楽しいと、自分の楽しいに関して言えば、大枠は一緒といえど幾分かの祖語があるのは間違いない。
 きっと、なのはの楽しいは、家族と一緒にいられて楽しい、ということ。対して、自分の楽しいは、替え玉の人間に対して抱く歪んだソレからもたらされる感情。ああ、日本語って難しい。
 せめて、双子でなければまた違った展開を迎えられるというのに。前世ともども、いるかどうかはわからないが神様はこの部分を切り離してくれない。全くもって世界はこんなはずじゃないことばかりだ。

 ひとしきりブランコに揺られた後、身体を揺らすのをやめてブランコが制止するのを待つ。ゆらーんゆらーんがゆらゆらとなり、ゆら、ゆらと小幅にしか動かなくなったところで地面に飛び降りる。反動でガシャガシャとブランコの鎖が悲鳴を上げる。

「なおと、一緒に乗ろうよ」

 同じく漕ぐのを止めていたなのはが、こちらを見てそんなことを言ってくる。わかった、と頷き、座っているなのはにまたがるように板に足を乗せる。しゃがんでは立ち、立ってはしゃがんでを繰り返すと、座って漕ぐときよりも高いところまで簡単にブランコは登っていく。あまりやりすぎると立ってるほうも座ってるほうも危ないので、適度に高度を調整しながら漕ぐのを繰り返す。
 しゃがんだ時に、なのはと目が合う。その度に、なのははあの笑顔をこちらに向けてくれる。どうやら”楽しい”のは、正しい意味で本当のようだ。
 先ほどと同じくらい揺られた後、疲れて漕ぐのを止める。子どもとはいえ、二人分の体重が板に掛かっている。より軋んだ音がチェーンから響いてくる。位置エネルギーが摩擦によって消費され、やがてブランコは動くのを止める。

「ブランコって、楽しいんだよね」

 降りたときになのはの口から呟かれた言葉に対する答えを探し出す前に、二人の携帯からメールの着信音、すなわち昼食ができた連絡が鳴り、俺は答えるタイミングを失った。
 そういえば、あの世界の”高町なのは”は、一人ぼっちでブランコに座ってた、なんてことを思い出した。



 時刻は13時30分すぎ。繁盛店への道を徐々に歩んでいる翠屋にも、ひとときの休息が訪れる。俺たちが着いたときには、店内の客はまばらだった。
 カウンターの中で手を洗い、白衣と髪の毛が墜ちないよう帽子を身につけて厨房に入る。隅に設けられたテーブルには、昼食が三つ並んでいた。

「さあ、いただきましょう」

 母さんの声に併せて、いただきますをしてから食べ始める。
 店の中には父さんも母さんもいるものの、四人同時に食べる、ということはなかった。両方引っ込んでしまったら店内に誰もいなくなるからなのだが、こうして父さんか母さんと交代交代で昼食を取るスタイルとなっている。
 今日のメニューはサンドウィッチにサラダとキノコのスープ。店で出すメニューと同じものである。他にもパスタだったりオムライスだったりするのだが、どれもこれもおいしい。ケーキ共々、店が繁盛する理由がよくわかる。子どもの頃からこんなにおいしいものを食べてたら、舌が贅沢仕様になるんじゃなかろうか。料理人の子どもたちがまた料理人を目指すのもわかる気がする。この世界で生まれ変わる前は、高校出てからなのはと二人で暮らしてきたので、ある程度の家事だの料理だのは出来るが、やっぱりプロには敵わない。こんなおいしい物を食べられるんだから、幸せである。

「さっきまでは何をしてたの?」
「公園でなのはと遊んでたよ」
「そう……ごめんなさいね、幼稚園、どこも空いてなくて」

 本当に申し訳なさそうに、母さんが謝ってくれる。春の入学シーズンを過ぎても、時折各園に確認してくれているらしいが、中途で空くことは本当に少ない。空いていないのは別に母さんのせいじゃないというのに、自分のせいだといわんばかりに謝るものだから、こちらも申し訳なくなってしまう。

「仕方ないよ母さん、来年には小学校だから、大丈夫だよ」
「そうだよお母さん。なおとと一緒にいるから、大丈夫」
「ありがとう。あなたたちがしっかりしてるから、本当に助かるわ」

 朝からここまでずっと、ケーキを焼いたり食事を作ったりで疲れているはずなのに、母さんは疲れた顔一つ見せることなく、笑顔で話しかけてくれる。五年とちょっとたつが、本当にいい母だ。最悪なパターンを身を以て体験しているだけに、余計にそう感じる。

 お昼を食べ終わった後は、そのまま翠屋の厨房で、二人で一緒に洗い物や片付けを行う。他にやることがあまりない、という理由もあるにはあるが、「どうせならお父さんとお母さんの役に立ちたい」というなのはの希望も多分に混じっている。さすがに調理の類は色々問題があるのでやることはできないが、それなら、とくれた仕事が洗い物だった。それが許されているのだから、原作の“高町なのは“のコンプレックスは、生まれるべくもない環境だ。
 身長が足りないので、専用の台の上に二人立ち、洗う役と水ですすぐ役に分かれて食器を洗っていく。洗剤の含まれたスポンジで、なのはが手際よく皿を洗っていく。その横で俺は洗い終わったのを受け取り、丁寧に泡を流して水切り台に並べていく。洗い終わった食器は、白く輝いている。それを見ると、少しだけ、自分の汚れた心も文字通り“洗われた“気分になるのが気持ち良かった。

 洗い物が終わると、本格的にすることがなくなる。なので、店のちょっとした事務スペースで、なのはと一緒に母さんが借りてきてくれた図書館の本を読む。本、とはいっても五歳児向けに用意されたものなので、絵本がほとんどなのだが、本当に子どもだった時は読んでもよくわからずにふーんで終わらせてしまっていたものも、精神年齢が大人になってから読むと色々戸感慨深いものがある。
 今日、用意されていた中からなのはが手にしたのは、既に初版が出版されてから二十年以上経つ、猫が何度も死んでは生き返る話の絵本だった。タイトル自体は何度も見聞きしたことがあったが、実際に読んでみるのは初めてだったりする。
 頁をめくるのはなのはに任せて、じっと記載された文字列を読む。時折紙がすれる音、そして二人の呼吸音以外に俺たちの周りで音は生まれない。

 最後、主人公の猫がその生を終えるときには、時計の短針もかなり動いていた。
 正直、途中から息をするのすら忘れていたんじゃないかとも思えてしまう。
 
「何度も生まれ変わるのって、どうなんだろうね」

 作品に飲み込まれたまま、そんなことをなのはに聞いていた。

「……きっと、大変だと思うよ」

 帰ってきたのは、そんな言葉。

「どうして?」
「だって、生まれ変わる度に、全然違う環境にいるんだよ? そんなの大変だよ」
「……そうだね。それはそうだ」

 言われてみて初めて、生まれ変わるという事象において当たり前とも思える部分に出くわす。二度目の生を得てこの方、戸惑うことは多々あれど、違う環境だから大変だ、と思ったことは一度もなかった。何故だろう、と思考を巡らしてみると、すぐにその理由がわかる。

 なのはじゃないけど、なのはがいる。
 歪な依存相手がいることで、不具合を不具合と認識していなかったのだ。自分一人しか自分を知らない世界で、自分を知らないけど自分は知っている、愛すべき半身がいる。世界は不条理だらけだし、自分の感情すら不条理の塊でしかない。それでも、不条理を愛おしく抱きしめて、自分は二度目の人生を歩んでいる。あのまま死んでしまった方が良かったのか、それともこの“今”で生きていられる幸せを甘受すべきなのか、答えはまだわからない。

「なおとはどう思う?」

 ずぶずぶと意識の混迷に沈みかけていたところで、なのはからの逆質問に、行方不明だった目の焦点が愛すべき半身に現れる。

「そうだなあ……」

 俺が返すべき答えは、どこにあるのだろうか。どういった言葉なのか。探したところで、すぐ見つかる物でもなかったので、当たり障りのない――それでも、真実の一つではなかろうかと思える答えを紡ぐ。

「生まれ変わった先で、幸せになれたんだったら、どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、生まれ変わって良かったんじゃない、かな」

 その言葉に、なのははきょとんとした後、小さく「そっか」と呟いた後、絵本の表紙に描かれた、ちょっぴり不細工な虎猫に視線を落とす。
 猫と見つめ合うこと幾分、もう一度、質問が飛んでくる。

「なおとは、幸せ?」
「まだわからないよ」
「そっか。わたしも、わからないんだけどね」

 にゃはは、と笑うその声には、なぜだか父さんの入院の時よりもさらに、正の感情が含まれてるように感じられた。



 街に夕焼け小焼けの放送が流れるころ、翠屋は閉店を迎える。
 市井の喫茶店なら、だいたい19時くらいまではあいているところが多く、それこそ繁華街の中のチェーン店だったりしたらもっと遅い時間まで空いていることもあるのに比べたら、翠屋の閉店時間は早い上に中途半端といえる。だが、それもこれも「家族の時間を取るため」、すなわち、俺たち五歳児のことを思って、せめて小学校に行くくらいまではと両親が考えた策だった。店の入り口にも、閉店時間が早い理由を記載しているせいか、今まで不評を買ったことはない上に売れ残りが多くあることもない。理由の最たる原因となっている身としては、ありがたい限りである。
 持てる範囲で物を片づけたりして、両親を手伝うと、すぐに片づけも終わる。月末だと会計データを整理するために父さんが遅くまで残ることもあるが、それ以外の日は、何か特別な事情でもない限り、店を閉め、四人で一緒に買い物をして帰る。何気ない日常の光景も、それが当たり前にあるのと当たり前に存在しないのとでは、大きく異なって感じられる。何気ない日常を、何気なく過ごせることは、幸せなことだ。
 家につき、晩御飯ができるまで待っててねということで、自分たちの部屋に戻る。やれやれと床にだらしなく座ったところで、なのはがこんなことを言ってくれる。

「さっきの続きだけどね」
「うん?」

 さっきの続き、となると猫の話だろうか、なんて思ったが、もう少し込み入った話だった。

「今、幸せかどうかはまだよくわからないけど」
「うん」
「幸せじゃない、なんてことは絶対ない」

 力強い言葉。今が幸せだ、と断言してくれないのは引っかかるが、幸せじゃないなんてことがないのなら、それはそれで嬉しいことだ。
 でも、どうせなら。この愛すべき半身には幸せになってほしい。

「じゃあ、なのははどうしたら幸せだって言うことができる?」

 だから、俺は聞かなければならないのだ。もう一つ、駒を進める。

「それは……まだ」

 じっくり時間をかけた後、なのはが出した答えは、回答ではなかった。
 なんとなく、そんな言葉が降ってくるんじゃないか、という気はしていた。わからないようで、わかるような。そんな曖昧模糊なシロモノ。

「そっか」

 俺にはまだ、相槌を打つくらいしかできない。もっとわかる時が来たら、他の言葉を作り出せるのだろうか。
 そもそも、前提条件である「五歳児」を踏まえると、この会話全体がおかしいものではある。幸せについて語れる五歳児、なんていうのが果たして存在していいものだろうか。それとも、別の……あるわけない、あるはずがないささやかな希望が首をもたげてきてはモグラ叩きの要領で潰していく。年々広がっていく違和感の元は何なのか、わかりたいけど、わかりたくない。俺となのはに関する致命的なナニカがそこには存在してはいないか。
 いつか、パンドラの箱を開けなければならないときが来るのだろうか。

「でもさ、俺は」

 暗雲立ちこめる思考を振り払うように、俺は声を振り絞る。

「なのはに、幸せになってもらいたいから、さ。俺に出来ることなら、なんでもするよ」

 自身の存在理由は、変わらないし変えられないし変えたくない。
 胸に宿る熱い想いは、二度目の生を受けても尚強く輝きを放つ。

「ありがとう、なおと」

 あの時は笑うことなんて出来なかったけども、同じ顔で、なのはは俺に笑いかけてくれる。

「わたしも、なおとには幸せになってほしいから、出来ることはお手伝いするよ」

 一緒にいられるだけで、幸せだよ。
 その言葉が、真っ当に、真っ直ぐ伝えられたら良かったのに。
 なのはが、なのはなら。
 たたき潰したはずの希望は、まだ俺の中で生き長らえていた。


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