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Remains/before story 04

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「そうだ 温泉に行こう」

 JRのキャッチフレーズのようなセリフ。関東の人間が京都に行きたくなるその言葉を放ったのは父さんである。ちなみに例のキャンペーンはこの世界にもばっちり存在していて、長期シーズンのたびにテレビCMが流れている。
 卯月から皐月へとカレンダーが変わった日の夜、家族全員で晩御飯を食べている時のことである。今日のメニューは鰯の南蛮漬けと新じゃがのポテトサラダ、きんぴらゴボウ、味噌汁にご飯。いつもおいしいのは本当にありがたい。そんな幸せをかみしめてる最中、余りにも唐突に言うものだからついうっかり箸でつまんでいたポテトサラダのジャガイモをお皿に落としてしまう。

「どうしたのあなた、そんな藪から棒に」

 驚いたのは母さんも同じようで、少し怪訝そうに父さんに問いかける。色々あったとは言え、この世界に生まれてこの方、父さんがそんなことを言った試しはなかった。そんな
人が突然言い出すのだから、驚くなという方に無理がある。
 で、その父さんはというと、「うむ」とひとつ威厳たっぷりに頷いたあと、満面の笑みで告げるのだ。

「なんだか、行きたくなったんだよ」

 それを人は藪から棒と言うはずだが、この空気でつっこむのはそれこそ野暮ったい。その言葉の裏側には、急にそんなことを思いついて行動に移すだけの余裕が高町家に生まれた、なんてことがある。店の経営は順調で、少しくらいの臨時休業をとっても構わない程度には流行っている。そうして生み出された猶予時間を、家族の時間に充てようというのだ。心地よく、朗らかな気分に浸っていられるのに、それを自分で壊すなんて事はしたくない。幸か不幸かまだ結論は出せないが、こうして家族という存在の暖かさを感じることが出来ているのは重畳である。後は、愛すべき半身か愛した半身かという違いだけなのだが。

「それはいいかも。今まで忙しかったから、みんなで旅行なんて行く暇なかったし」

 姉さんが父さんの意見に追加の理由を加えて賛成する。何も言わないが、兄さんもその横で頷いてるので、こちらもおそらく賛成。

「直人となのははどうだい?」
『温泉行きたい!』

 そして俺たちも、諸手を挙げて賛成するのだった。家族で旅行、なんていうのは、“なのは“との逃避行を除けば初めてだ。言われるだけでわくわくしてくるし、考えるともっと楽しい。

「よかった。と、いってもさすがに遠くには行けないから、海鳴温泉だけどね。三日、四日の一泊二日コースで実はもう予約してあるんだ」
「あなた……前から考えてたのね」
「でないと予約なんてできないからね」
「でもそれだったらもっと早く言ってくれてもいいじゃない?」
「……ちょっとしたサプライズ、だよ」

 二年先の流行語大賞トップテン入りワードを先取りした父さんだったが、どうよく見ても忘れていたのをごまかしているようにしか見えなかった。最近になって分かってきたのだが、意外とこの人はお茶目だ。後は頬に流れる冷や汗をごまかせていたら完璧だっただろう。



 そんなこんなで、ゴールデンウィーク後半スタート直前の平日。学校の中は、明日から連休と言うこともあってみんなが色めき立っていた。あちらこちらで「どこに行くの」なんていう言葉が飛び交っていて、実に楽しい気持ちにさせてくれる。

「あんたたちはどこか行くの?」

 ところが、会話のきっかけを作ったアリサはというと、あまり楽しそうな雰囲気ではなかった。

「一応、家族みんなで近くの温泉。アリサは?」
「……パパとママが忙しいらしくって、今年は日本に戻ってこれないらしいわ。だから家でお留守番。アメリカに飛んでいく日数もないしね」
「なるほどね」

 不機嫌な理由は明白だった。いくら他の子達よりも精神的に大人びているとはいえ、そこは小学一年生の子どもである。休みの時くらいは両親と一緒にいたいのだろうが、世界をまたに駆ける人たちとなればそうも言っていられない。アリサはそれがわかってるからこそ、不機嫌にはなっても文句は言わない。先ほどの言葉と矛盾するようだが、小学一年生にしては非常に大人びているし、それが不自然に思えないあたりが凄い。世の中の全てに不条理をぶつけようとしていた、一回目の俺とは違うのだ。
 そんな彼女に対しては、慰めの言葉はかけない。不義理というヤツである、

「すずかは?」
「私もお姉ちゃんたちと一緒に家、かな。ちょっと忙しそうだし」
「そっか」

 すずかもすずかで、同じ状態のようだ。実はあまりすずかの家の事柄については詳しくない(上に、原作のこともあまり覚えていない)のだが、姉と家政婦さんたちに囲まれての生活ということはわかっている。ちょっと前の高町家と同じで、色々とあるのだろう。
 色んな事情があるものよ、などと若干変な思考回路が働いてる間に、なのはがふらりと教室外に出て、少ししてから戻ってきた。

「……ねえ二人とも、良ければ、なんだけど」

 少し不安げに切り出すなのは。

「わたしたちと一緒に、温泉、来る?」
「えっと、いいの?」
「うん、お父さんとお母さんにはオッケーもらったんだ。『ぜひ一緒に』って」

 どうやら先ほど廊下に出ていたのは、こっそりと電話をかけるためだったらしい。学校内で携帯電話を使うことはあまりよろしくないのだが、ここは目を瞑る。

「……ありがとう、なのは。あたしは行けると思う」
「私も多分大丈夫かな。ありがとう、なのはちゃん」

 なぜなら、友人たちが本当に嬉しそうに笑っている姿を見られたのだから、これくらいは緊急避難ということで許してもらおう。

「じゃあ、明日は二人の家の前まで、車で行くと思うからよろしくね」
「うん!」
「本当にありがとう、なのは!」
「騒がしくなりそうだな」
「ちょっとそれどういう意味よ!?」

 ……余計なことは言うものではない。



 というわけで次の日、である。
 人数が増えたので急遽ワンボックスタイプの車をレンタカーで借りてきて、昼過ぎに高町家を出発。それぞれの家に迎えに行っていざ温泉、である。市街地からゆっくり走っても大体1時間かからないくらいのところにあるので、気軽に行けるところが素晴らしい。ちなみに、着くまでの道中は子ども4人でUNOをしていた。少しでも気を抜くとあっさり手札が増えるあたり、このメンバーは自分自身を含めて年相応ではない。結局、到着するまでに決着は付かなかったものの、他三人の手札が2、3枚なのに対し、俺だけ9枚も手札があるあたり、勝敗の行方は終わらずとも見えている。
 結構熱中してやってしまったせいか、姿勢が悪いままの乗車となり若干気分が悪くなる。到着して外に出たときには、真っ先に綺麗な空気を胸一杯に吸い込み、澱んだ意識をクリアにした。市街地とそれほど離れていないのに、空気の澄み具合は全く違う。もっとも、前世においての幼少時代は、ここよりももっと空気だけは綺麗だったのだが。

「んー。いいところだね」

 腕を高く突き上げて延びながらすずか。あまりこういう所に来ないのかと聞くと、そんなにないかな、との回答が返ってくる。そっか、じゃあ今日楽しめばいいよとだけ返して、多くには触れない。アリサの家同様、自分たちが簡単には関与してはいけない状況があるのだろう、そこに土足で踏み込んでいくのは、無神経な人間がやらかすだけで十分である。簡単な気持ちで間に入ったところで、何も生まないどころか余計な禍根すら残してしまうことを、俺は身を以て理解している。

「ほら、まずは部屋に入って荷物を置いてしまおうか」

 そうこうしていると、荷物を多く抱えた兄さんが俺たちを宿へと誘導してくれた。見た目はどちらかと線の細い部類に入る兄さんだが、剣道で鍛えているために相当筋肉質であり、現に(それほどの量ではないとはいえ)俺たち子ども組四人分の荷物を平気で片手で運んでいる。もう片方には兄さん自身と姉さんの荷物。いったい剣道でどういう鍛え方をしたらそこまで行けるのか不思議でしかたない。個人的に思っている高町家七不思議の一つである。他六個の不思議は、と聞かれてもすぐに答えられるわけではないのだが。
 旅館の玄関をくぐり、中へと入る。外観は結構ガタが来ている印象だったが、中に入ると清掃は隅々まで行き届いており、外とのギャップに驚かされる。外見にもう少し気を遣えば集客アップにつながりそうなのに、などとどうでもいいことを考えてしまう。チェックインを済ませ、仲居さんに連れられて部屋まで案内される。

「今回、お隣同士の部屋をご用意させていただきました。寝具の移動などが必要になりましたら、何なりとお申し付けください。また、御夕食は十八時半のご予約で承っておりますが、お変わりなかったでしょうか」
「ええ、ありがとうございます。済みません、急なお願いにも対応していただいて」
「いえいえ、たいしたことではありませんよ。夕食は大広間にてご準備しておりますので、入口でお名前をおっしゃってください」

 今の時刻はまだ十五時にもならないくらいである。荷物を置いて宿の周辺を回る時間は十二分にある。

「お父さん、部屋はどうするの?」
「そうだな……バニングスさんも月村さんも気兼ねしてしまうだろうから、本当は良くないんだろうけど、小学生組で一部屋、残りで一部屋にしようか。直人もなのはもよい子だし、迷惑になることはしないだろ?」
「う、うん」

 何というか、非常に物わかりのいい親すぎて、思わず返事も戸惑い気味になる。本人も自覚しているが、普通子どもだけで一部屋なんてことはしないのだが、それを許してしまう(というかアリサとすずかの事を優先して)あたり、昔から寛大というかなんというか、ありがたい限りだ。というか、人数比が悪いとはいえ男性女性で分ける方が良かったんじゃなかろうか、なんてことを考えながらあてがわれた子ども部屋の隅に、兄さんから受け取った荷物を置いていく。きれいに四つ鞄を並べて、少しだけ自己満足する。

「お夕食までは外に行ってきてもいいわよ。もちろん温泉に入ってもいいけど、外に行きたいなら日が暮れる前に、ね?」

 母さんからの言葉には、三つ仲良く「はーい」との返事が返ってくる。個人的にはお茶でも飲んで一息入れて、それからさっさと温泉につかりたいところだったが、なのはが外に行くなら一緒に行かざるを得ない。

「あんたはどうするの? 今返事してなかったけど」
「……外行くんだろ? 一緒に行くよ」

 そう返すと、何故かため息を盛大に吐かれた。

「なんだよ?」
「なんでもないわよ」

 何でもないならため息吐くな、と言いたいところだったが、盛大に“やぶ蛇”というワードが思考回路に飛び交って警告してきたので止めておく。自分にも何なんだと言いたいところだ。
 温泉街を散策、と言ってもそこまでうろちょろするところはない。なので携帯と財布(小遣いがもらえるなんてびっくりである)だけ持つことにする。三人組はというと、こちらも同じようなものでそれぞれポシェットやら小さなリュックやらを掲げるだけで準備完了である。これが年を取ると段々と時間が掛かるようになるらしいから恐ろしい。幸か不幸か、“なのは”は成長してもそれほど時間をかけることはしなかった――幼少士から思春期までの環境要因のせいかもしれない――のだが、このなのはは、はたしてどうなるのだろうか。

 温泉街に出てみると、それほど大きくもなく、かといって寂れて数件店が並んでいるだけ、というわけでもなく、子どもが散策するには程良い感じだった。自分達が泊まる宿以外にも四、五軒の宿があり、その合間には観光地おきまりの土産物屋だったり、食べ物屋だったり、はたまたいい感じに色あせたゲームセンターがあったりと、趣深いものがある。とはいっても、別に買いたいものがあるわけでもないし、ゲームセンターで遊ぶには年齢と財布の中身が足りないので、土産物屋によくあるご当地キーホルダーできゃっきゃと騒ぐなのはたちを、少し離れてぼけっと見守る形となるのだが、これはこれで心地よい。

「なおと、これ一緒に買おうよ」

などと惚けていたら、なのはが何かを手にして手招きをしてきた。近寄ってそのブツを見てみると、淡い桃色の輝きを放つ球体の石がつなげられた、携帯用のストラップだった。よくよく見れば、着色しているのはわかるのだが、ぱっと見は綺麗に輝いているあたり土産物に並ぶものの技術力も侮れない。それはそれとして。

「うーん、いいけど、俺にピンクは似合わないような……」
「そうかなあ?」

 一般論として、ピンクの似合う男の子、というのはなかなか少ない。そして自分がそれに当てはまっているかというと決してイエスとは言えない。もし買うなら、その横に並んでいる、青く輝く石がくっついている方がいい。

「みんなで一緒のを買おうよ」
「……わかった」

のだが、頼まれたからには仕方ない。自分の分をと、商品棚から手にとって改めて見てみる。なんとなく、あの桃色デバイスのことを思い出す。やはりこの世界に魔法は存在しているのだろうか、なんていういつもの命題にとらわれながらも、一緒にレジに行って、一つずつ会計をすます。

「じゃあこれがなおとの」
「うん? ああ、じゃあこれがなのはの、な」

 同じものを買っているというのに、どうやら互いへのプレゼントの体になのははしたいようだった。そっちの方が個人的にも嬉しいので、買ったものを交換し、早速携帯に取り付ける。

「あんたらって……」
「なんだよアリサ」
「……いや、なんでもないわ」
「さっきからなんなんだ一体」

 ふと気づくと、横でアリサがじっとこちらのことを見ては、何かを呟くのだが、詳細は語ってくれずなんだかもどかしい。なのははきょとんとした表情、対してすずかはアリサと同じ系統の感情を抱いているのか、苦笑を浮かべている。

「二人してなんだよいったい」
「……そのうち気が向いたら言うわよ」
「気が向く時がくるのか、それ」
「さあね」
「気まぐれすぎるだろ……」
「猫みたい、なんでしょ?」
「自分で言い逃れのセリフとして使うな」



 十七時半頃には部屋に戻り、当初の望み通り茶を煎れて一息入れる。アリサに「じじくさい」なんてことを言われたりしても、そこは無視するに限る。
 夕食は大広間でみんなで一緒に食べた。山の幸を中心にした会席料理は、値段以上の価値はあるんじゃないかと思える出来だった。だが、母さんの方がおいしく感じられるのはひいき目が入っているせいではないだろう。

 ご飯の後はいよいよ温泉タイムである。温泉旅行に来たからには、温泉に入らずして何となるのか、などと、自分でも不思議なくらいテンションが高い。女湯に入る、なんていう低級のお約束はパスして、父さん、兄さんと共に男湯へ服を脱いで、脱衣所から風呂場へとつながるドアを開けると、石造りの大きな浴槽が目に飛び込んできた。奥には露天風呂に続くドアもあり、浴槽後ろの窓越しに何人かの客がゆったりとくつろいで湯に浸かっている姿が見える。
 たまには洗ってやろう、という兄さんの誘いを受け、洗い場で椅子に座り、頭を洗ってもらう。普段なのはと一緒にいることが多いせいか、こんな感じで兄さんとコミュニケーションを取ることはあまりなかったなあ、などと少しだけ反省。

「直人は変わってるよな」
「いきなりどうしたの、兄さん」

 シャンプーを流し終えたあたりで、唐突に兄さんがそんなことを言う。どうしてこの家族はみんな言うことが唐突なんだろうか。血筋かもしれないが、少なくとも姉さんが唐突に言い出したのを見たことがないので、男系のみの遺伝なのだろうか。

「本人に言うのもどうかと思うが、小学生、それも一年生には見えない」
「……そうかな」

 そういう兄さんこそ学生には見えないよ、と言いたいところだが、比較できること自体が自分の年には不相応なので堪えておく。代わりに、前から聞いてみたかったことを聞いて話しをうやむやにしてしまうことにする。

「そういえば、どうして兄さんはそんなに鍛えてるの? 毎日道場で姉さんと稽古してるでしょ」
「そうだな……」

 普段の生活を見ている限り、兄さんは大半の時間を剣道の修練に当てている。用事がないときは道場に篭もって、ひたすら竹刀を振ったり、あるいは少し短い刀を二本構えて、明らかに実践を想定した動きで鍛練を重ねている。画面で既に“見ていた“とき以上に、その姿には鬼気迫るものを感じる。

「俺は、今いるこの時間、そしてこの先の未来、自分で出来る範囲以上のことは無理だけども、出来る範囲なら、守りたいんだ」
「守りたい?」
「ああ。実は、時折ふと思うことがあるんだ。今こうして幸せな時間を享受出来ていることが夢かもしれない、本当の自分は“過去の延長線で考える限り”はもっと悲惨な生を過ごしていて、大事なものをなくしたりだとか、自分自身がどうしても乗り越えられない障害につぶれてしまったりだとか、あるいはもっとひどい状態へと自らを貶めてしまっているだとか、そんな状態じゃないのか、って」
「……うん」
「もちろん見たくもない夢物語だとは思うが、時折寝ている間に見る光景はやたらとリアルで、何が正しいのかすらわからないときだってある。だけども、いや、だからこそ、今こうして、幸せだと感じられている時間は大事にしなければならないし、守るためにはいかなる努力も惜しまない」
 
 兄さんの体には、俺たちが生まれた頃から多くの傷が刻まれていた。それらは決して、単なる怪我で負ったものとは思えない量であり、おそらく与り知らぬところで重たい過去を抱えているのだろう。それは、同じような身体を持つ父さんについても言える。
 こう考えると、実は高町家の面々に関して知らないこと、というのは非常に多い。当たり前の話だが、元々知っていたアニメの中の話はあくまでアニメの中の話であり、“視聴者の立場”からすると、彼らの過ごした時間の断片を見ているにすぎない。そのことを失念していた俺は、全て知っている気になって家族に接していたのだ。そして、知ることすら忘れていたのだ。改めて考えると恥ずかしいことこの上ないし、失礼極まりない。この世界において、ほぼ全てを知っていると言えるのは愛すべき半身だけだというのに。

「もちろん、その守るものの中には、直人やなのはだって入ってる」
「……ありがとう、兄さん」

 それでも、兄さんはちゃんと俺のことを守るものの一つ、つまりは大事なものの中に入れてくれているのだ。ありがたいことだし、改めて“家族”というつながりの、あるべき形がわかる。
 じゃあその中で、俺は何をすべきなのか。

「俺も、守れるようにならないとなあ」

 ……どんなに考えても、最優先とすべき事項はたった一つだ。レーゾンデートルは、変わらないし変えられない。

「直人も、もう少ししたら教えようか? 父さん直伝の剣を。さすがに今からやるのは薦められないが、身体が出来てくる頃には」
「うん、その時はお願いするよ」

 そのためには、どんなものでも貪欲に取り込んでいかなければならないのだろう。何が必要かはわからないのだから。



 いくら中身は年を取っていても、身体はそうはいかない。少しばかり遠出をして疲れているせいもあってか、小さなこの身体は二十一時前には睡眠を欲していた。普段も大体寝る時間はこの時間なので、余計に眠たく感じる。談笑の輪から外れ、自分用とした一番廊下側の布団に潜り込む。

「ちょっと直人、もう寝るわけ?」

 なんて言葉がアリサあたりから飛んでくるが、答える猶予も無く意識は闇へと包まれていった。
 ……と思ったら、割とすぐに目が覚めた。眠る前は点いていた電灯は消され、誰も起きている様子はない。充電器に刺していた携帯をたぐり寄せて開くと、液晶画面の時計は二十三時過ぎを指していた。布団が変わったせいか、寝付きは良くても眠りは深くなかったらしい。昼寝から目覚めたときに似た倦怠感に包まれながら静かに身を起こすと、家と同じように同じ布団の中になのはがいて、こちらにつられるように目を覚ましていた。

「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん、わたしもあんまり深くは眠れてなかったみたい」
「そっか」

 一言二言と言葉を交わすと脳が少しずつ覚醒していくのだが、これから真夜中へと向かう時間帯においては余り歓迎すべき事柄ではない。

「ちょっと眠気が取れちゃったから、温泉いこっか?」

 なのはも同じだったようで、こんな提案をしてくる。同じことを考えていたので、素直にその提案に頷き、寝ている二人を起こさぬよう静かにタオルなどを準備する。
 観光シーズンの為か、こんな時間になっても宿の廊下は人の往来があり、まだ建物は眠っていなかった。その中をなのはの手を取って温泉へと歩いて行く。小さな二人組はやはり目立つようで、行き交う人々からは時折怪訝な視線を向けられるが、気にせずに進んでいく。一度目の人生で小さい頃に向けられた視線よりもよっぽどマシだ。
 紺色と紅色の暖簾が見えたところで、さっきと同じように男湯に入ろうとしたら、なのはは手を放してくれなかった。

「えっと?」
「一緒に入ろうよ、なおと」

 ……まあ、家ではよほどのことがない限り一緒に入っているので、なのは限定であれば恥ずかしいとかそういった感情は浮かぶことはないのだが、それはあくまで家の中の話であって、さすがに外で、となると見た目は子どもとはいえ精神年齢はその何倍にもなっているわけで、思わず躊躇する。どうしようか、と思案しかけたところで、ガラガラと女湯側のドアが開いて暖簾をくぐって姉さんが現れる。

「あれ、二人ともどうしたの?」
「ちょっと目が覚めちゃって。もう一回、今度はなおとと入ろうかなって」
「あらそう。気をつけて入ってね。今誰も中にいないから、怪我とかしないようにね」
「はーい。ほらなおと、行こ?」

 誰もいないならまあいいか、となのはに引っ張られて女湯へ。まあもういいかと流されるあたり、自分も楽観的である。
 誰もいない脱衣場で服を脱いで風呂場に向かうと、姉さんの言うとおりこちらも誰もいなかった。既に頭や身体は洗っているので、シャワーは汗を流す程度にして、湯船に浸かる。なのはも同じようにして俺の横で湯に身体を沈める。

「やっぱり家のお風呂とは違うね」
「まあ、広いし、温泉だし」
「えへへっ……」

 姫様はなんだか上機嫌で、こちらも嬉しくなる。それ以上何か会話を交わすわけでもないが、それでもなのはと一緒にいる時間というのはそれだけで心地よい。人間何歳であろうと思考回路の根っこは単純だ。
 そんなこんなで過ごすこと五分ほど。ドアがガラガラと音を立てて開いたので、ついうっかり振り返ってみたら奴らがいた。

「げえっ、アリサにすずかっ!?」
「なんなのよその横山漫画にありそうなセリフは」
「よく知ってるな、じゃなくて、えっと、うわっ」
「……直人君が驚いてるところ、初めて見たかも」

 そりゃ驚くだろうよ、小学生とはいえ同級生の女の子の裸を見る羽目になるなんて。性欲とかその手の煩悩はこちらも相手も身体年齢相当なのか湧き上がってこない(もっとも、小学一年生相手に湧き起こればそれは病気ではなかろうかが、さすがにちょっと恥ずかしくはある。前世でそんな経験がなかったから殊更である。
 ともかく、どうやら来る時の音か何かで二人とも起こしてしまったようなので、そこだけは反省しておく。

「別にいいじゃない。あんたもなのはと入ってるわけだし、そもそもここは女湯なわけでしょ」
「いや、まあ、うん」

 言っていることはごもっともであるが、タオルで隠そうともせずに腰に手を当てて言うセリフではない。羞恥心がないのかまだ育っていないのか、それとも欧米スタイルなのか、理由は不明だが少なくとも後ろでタオルを胸元にあてて少しは隠そうとしているすずかの様子を見る限り、同級生の男と一緒にお風呂に入ることが恥ずかしいと思える年齢であるのは間違いない。何が正しくて何が間違ってるのやら。
 あっけにとられたまま見続けるのもマナーとしてはよろしくないので、素直に首を元に戻す。そして、覚悟を決めてなのはに一言。

「もう、あがる」
「え、せっかくなんだしもうちょっと入ってようよ」
「いや、まあ、うん」

 なのはに反対されてあっさり元に戻る俺は、なんと意志の弱い存在なのだろうか。仕方なく、そのまま口元まで湯に沈めて、ぶくぶく泡を立ててみる。

「ちょっと、汚いわよ」
「……冷静に考えると俺もそう思う」
「直人君がちょっと変だ……」
「なおと、大丈夫?」

 この微妙なシチュエーションに若干思考回路はショート寸前だったようで、なのはにさえ心配される始末である。我に返ってみると、アリサもすずかも湯船につかっていた。目線の置き場所に困り、とりあえず上を向いておく。そりゃあタオルは湯船に入れてはいけないけども。入れてはいけないけども。何なんだこれ。
 
「それにしても、あんたちは本当に仲いいわね」
「そうかな?」
「うん、私も同じこと思うよ」

 視線を落とせないうちに、なんだかガールズトークの空気が漂い始める。話題は明らかに俺となのはについてだが、裸な状況も相まって入りにくい。

「あたしは兄弟とかいないからわからないけども、普通そんなにべたべたしてないと思うのよね」
「べたべたって……」
「でもなのはちゃん、学校だとほとんど直人君と一緒にいるよね」
「そうかな?」
「そうかなって……」
「でも、わたしたち双子だし、なんだかなおとがそばにいないと変な感じで」
「そんなものかしら。直人は?」
「うおっ、な、なんだよ」

 入りにくいからもうどうにでもなれと会話を聞くのは軽くにして完全にぼけっとしていたら、いきなり話を振られてやっぱり焦る。

「あんたさっきからどうしたのよ」
「どうしたもこうしたも……もういいや、で、なんだよ」
「やっぱり双子だと、相手が近くにいないと不安なの?」
「うーん……」

 改めてその質問内容をかみ砕いて考えてみるが、別に不安になるからそばにいる、というわけではない。なのはの回答だって(うろ覚えだが)そういうニュアンスではなかった。

「いたいからいる、ほうが近いかなあ」
「あんたたちは……」

 なので思った通りに行ったら、盛大にため息をつかれた。どうやら土産物屋の延長線上に今いるようである。

「まあいいわ。そういうものだと思うことにする」
「何の話だいったい……」
「いいのよ、こっちの話」
「全然わからん」

 もう面倒なので、そういう微妙なお年頃ということで処理することにする。すずかがひたすら苦笑してたがそれも無視。それよりも。

「そろそろ上せそうだから先上がってくれ」
「なんでよ?」
「……それがマナーなんだよ」

 ……何のマナーなのかは、自分で言っててもよくわからなかった。強引に三人組を先に上がらせてからたっぷり時間を空けて上がり、誰もいなくなった脱衣場で涼む。若干上せ気味になって、布団にたどり着いた途端、気を失うように眠っていた。結局これで精神面を中心に疲れた俺は、次の日何をやったかほとんど覚えることなく、なのはに手を引かれるままになって温泉宿を後にしたのである。


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