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一次/wish

-Ten Years Ago-


「飛べるもんっ!!」
「飛べないねっ!!」

 彼らは、原っぱの中で言い争っていた。人は空を飛べるか飛べないか。話題が話題だけにはた目からみれば子供たちの微笑ましい光景、ともとれた。だが彼らは真剣だった。

「絶対飛べるもん!!」

 特に少女は、必至だった。

「だって空を飛ぶことが私の夢なんだもん!!」

 自分の夢だから、実現する。真実と幻想とに愛想を尽かした人にすれば、なんて幼稚な発想なんだと一蹴されるような思考だがしかし、遥かなる空想世界に心踊らせるような年代に位置する彼女にすればそれは、叶う夢だったのだ。

「絶対飛べるもん!!」

 なおも少女は強気だった。それが少年の口から、ある言葉を生み出させる。

「なら、そこから飛んでみろよ。」

 無邪気な言葉は、時として鋭利なナイフと化す。少年は、目の前の開けた空間を指して、そう言った。

「あ……」

 少女は言い返せなかった。幼心の中に宿る“現実”の芽が、一瞬にして花を咲かせる。綺麗な綺麗な、“恐怖”と言う名の花。

「ほらみろ、飛べないだろ?」

 ある種の童心を抱えた少年は、なおも少女を締め付けていく。それが彼女を引き付ける策なんだと、童心は囁く。声に耳を傾けた少年は、ためらいなく少女の“翼”をうばって……

「と、飛べるもん!絶対に飛べるもんっ!!」

 少女の翼はまだもげてはいなかった。心の奥底に眠る“飛びたい”という願望は、決して砕け散ってはいなかった。少女自身の名前が、持ち主の小さな心に希望を与える。しかし、悲劇は、時としてはかない夢から生まれることもあるのだ。少年に、空を飛ぶところを見せたい……少女の心のベクトルは夢の成就へと移り。

「飛んで……飛んで見せるんだからっ!!」

 少女は崖へ向き直る。その前には虚空。広がる宙。タッ……

「バ、バカッ!!」

 ダッ!!

 ドッ……

 鈍い音が、5mほど下の草地から響く。その音を、崖の上から聞いたものは誰もいなかった。
 そう、誰も……


-Now-


 見上げた空を染めているのは、いかんとも言いがたい素晴らしい、青一色。雲一つない文句無しの快晴、秋晴れ。
 ふと視線をずらすと、原っぱの草に一匹、赤トンボがその羽を休めていた。
 突如、風。揺れる草にまるで振り払われるかのように、トンボは空高く飛び上がる。一瞬にしてその姿はやや向こう、崖下へと消えた。

「あ~あ、いっちゃった……」

 ふと、そんな声が自分の顔の真下から聞こえてきた。

「もうちょっと見てたかったなあ、トンボさん。」

 少し気の抜けたような、少女の声。柔らかい、少女の声。

「……さんざん見てたろ……?」

 それに対し、少年はぶっきらぼうな口調で応じた。もちろん、親しいがゆえの話し方である。

「う~、もうちょっと見てたかった……」

 少女は尚も、トンボが消えてしまったことを名残惜しそうに話す。

「……30分」
「えっ?」
「ここで止まって、もう30分もたってるぞ?」
「……嘘」
「嘘ついてどうするんだよ……」
「あ、あはは……」

 少年の視野に少女の顔は入っていなかった。が、あえて見なくても今どんな顔をしてるのかぐらいはわかるものだ。少年の考えたとおり、照れくさそうなごまかし笑い。それでいて、向けられた人がほっとする、そんな暖かな笑顔。

「ふう、ま、いっか。そろそろ帰るか?」
「うん!」

 その返事を聞いて、少年は少女の頭の上にのせていた顎を離す。そして、少年は少女が乗る車椅子をゆっくりと押しながら、その場を離れていった。
 しばらくして原っぱには、赤とんぼのつがいが寄り添うように羽を休める姿が現れていた。


-Reminiscence-


 あれから10年の月日がたつ。
 自分の夢を信じて空へと飛び立った少女と、夢を踏みにじる結果となってしまった少年。
 少年は幸いにも軽傷ですんだ。しかし少女は、背骨に致命的な傷を負い、下半身が不自由になってしまった。以来少年は、心に十字架を背負い、彼女の夢、そして自由を奪ってしまったことを贖うために、少女のそばに寄り添っている。こうして少女の車椅子を押し、二人でどこかへ出かけるというのも、少年の贖罪の一環なのだ。
 かわって少女自身は、少年のことをうらんではいなかった。ただ少しだけ、あの事故を機に大人になった。持っていた夢、そして地に堕ちた夢は、より現実的な希望として新たに彼女の心に宿った。

-空を、飛んでみたい-

 もちろん自分一人で何もなく飛ぶのではなく、様々な手段を駆使して、飛んでいる状態を味わいたいのだ。だがそれも今はつらい状態にある。下半身が動かない、ということはあらゆる行動への挑戦の意志を妨げる。

 でもいつかは……

 かすかに残る炎こそが、少女の明日への希望の灯火となる。少年は少年で、少女の希望を知ってはいたが、かといってどうすることもできなかった。しかし、少年も思う。

 いつか叶えてやりたい……

 強く輝く秘めた想いが、少年を、突き動かす。
 いつしか、少女の希望を叶えることが、少年の希望となっていた。


-Some Days After-


「……」

 少女は黙々と作業に没頭していた。

「……」

 少年はその横で彼女の様子を静かに見守っている。病院の個室。ベッドの横。机の上。無機質な白で統一された室内で、二人は静かにそれぞれの作業を行っていた。
 いわゆる検査入院の期間。彼女は病院で退屈な時間を過ごしていた。少年が彼女の見舞いに訪れたときも、彼女は暇をもてあそんでいた。だから少年は手土産を見せて、ある物を作ってみる提案をした。
 そして、現在の状況に至る。
 やがて、少女の作業は完成を見る。同時にそれは、少年の作業の完成をも意味するのだが。

「……できた」

 感慨深げにつぶやいてから、少女は少年へ、あの優しい笑みを、そして完成したものを見せる。

「……できたな」

 少年も、満足そうに笑みを浮かべる。
 視線を交わす。お互い、コクリと頷く。
 少年はそれまで丸椅子に座っていた身体を起こし、まずはその椅子を窓際に置く。続いて、寝巻き姿の柔らかな少女の身体を両手で抱えて、ゆっくりとその椅子に座らせた。いつものように少年は背後からその華奢な身体を支え、顎を少女の頭の上に乗せる。いつものことなので気にしない少女は、手にしたものを構える。

「えいっ!」

 バコッ!

 振りかぶった手が、少年の頬に当たる。少女は申し訳なさそうな表情を浮かべる。少年は苦笑し、身体を少し左側へとずらす。

「ほら、もう一回。」
「うん。えいっ!」

 スッ……

 少女が投擲したものは、真っ直ぐ宙を切り裂いていく。
 静かに、真っ直ぐに。

「私もあんなふうに空を飛びたいな……」
「飛べるさ、きっと。」
「うん!だって私の名前は……」

 やがて、白い紙で作られた紙飛行機は、空の青へと溶け込んでいった。その下には、原っぱが広がっていた。


-More Some Days After-


 今少年は、非現実的な現実の世界に直面していた。
 まったく持って理不尽。しかしこれが、現実。直立している足は、ずっと前から震えがとまっていない。身体の横にぴたりとつけられた腕、その先の両手もまた、握り拳とともに小刻みにゆれていた。
 不思議と、顔は、頭は、首は動かない。ただただ、この場所の一点を、見つめていた。
 それこそが。

 揺るがない現実。

 少女はまた、翼を失った。
 少女の夢も、打ち砕かれた。

 もう、飛び立つことは出来ない。
 もう、希望をもつことすら出来ない。

 棺の中で眠る少女は、思いの外綺麗な顔だった。でも、少年がその顔に触れたとき、生気たる物は宿っていなかった。
 まるで作り物のように眠る少女……

「……」

 誰にも聞こえない小さな声で、少年は少女の名前を口にした。
 何も、聞こえない。開いた口は、渇きを覚えても閉じようとしない。手を引っ込め、彼は虚空へ視線を泳がせた。

 少年のいないところで、それは起きた。少女はたまたま、家の近くを車椅子で散策していた。だが、日本という狭い国で年に一万人は下らない交通事故犠牲者に、少女は名を連ねてしまった。運転手の些細な注意不足が、少女の身体を、車椅子を、夢を、翼を、灯火を、全部全部轢き殺した。

 全部。少女を、希望を。

「俺は、まだ希望を叶えていない……いや、叶えられていないのに俺はっ!!」

 少年の叫びもまた、少女の名前に泣きすがる人々の声に、かき消された。


-Some Hours After-


 少年は、原っぱから見上げていた。
 病院の、すぐ近くの原っぱから見上げていた。
 いつか、赤トンボがいた原っぱから見上げていた。
 かつて、少女の夢が一度崩壊した崖上から見上げていた。

「高く、上ってるなあ……」

 無風状態の中、煙は天高く上ってゆく。天まで届いた煙は、徐々に姿を消す。
 焼き場の煙突から生まれる煙は、まさに人生そのものといった様相を示していた。

「あれも、飛んでる状態なんだろうか……?」

 心に虚無感が充満する。少年の四肢から、力が抜けていく。

「はっ、はは……」

 身体を投げ出し、寝転がって煙の行く末を見守る。

 突如、風が吹く。少年はそれに従うかのように、顔を横へと背けた。
 意外なものがそこにあった。

「……これは」

 少年は身を起こし、それを手にする。

「何だ……こんなところに墜ちてたのか……」

 あの日作った、真っ白な紙飛行機。
 奇跡といっても言いのだろうか? 汚れ一つない純白を保っていた。

「……ほんの少しだけ、俺に出来る分だけ、叶えてやるか……」

 ポケットからペンを取り出し、それに少女の名前を書き込む。

「うし……」

 少年は立ち上がる。
 目の前には崖。広がる宙。その中心は。

「飛んでけっ、希望っ!!」

 真っ白な紙飛行機。
 少年の手から放たれて、希望号は崖の上を、宙を滑空していく。

「今度は墜ちるなよ……」

 少年の希望と、少女の希望を乗せて、白い紙飛行機はあの日病室の窓から放たれた時のように、空の青へと溶け込んでいった。