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一次/偽りの華も可憐に咲き誇る

 バックミュージックには名前の知らないジャズが流れていた。正確にはジャズではないのかもしれないが、その系統の音楽知識に疎いためにみんな同じに聞こえてしまう。ファンには失礼だろうが、あいにくとこの場にはいなかった。
 雑居ビルの2階にあるバー。カウンターにはスコッチの注がれたグラスが2つ。それぞれ4分の1程度まで減っていた。
 うち1つを掴み、残りを一気にあおる。喉、胃、そして身体全体が一気に熱を帯びていく。

「明日使い物にならなくても知らないぞ?」

 隣から呆れた声が飛んでくる。

「大丈夫さ、二日酔いになるほど柔じゃない」
「そう。ならいいけど」

 残されたもう1つのグラスも宙に浮き、少しずつ琥珀色の液体が減っていく。

「で、なんだい、呼び出してさ。君がスコッチをあおっいてるところから察するに、何か重大な話じゃないかな」
「ご名答。長い付き合いはこういう時に便利だね」
「何を今更。親友だろう? 親友なら相手のことをある程度把握しておきたいのさ」
「そうだね……うん、そうだね」

 空のグラスを振る。残った氷が奏でる音が、浮つきがちな心を諫めてくれる。

「それで、話って何だい? 聞いてあげようじゃないか」
「それを聞いて安心したよ。景気付けもしたことだし、キミに話し始めるとするよ。まあ聞いてくれ。これは僕の……

 ――懺悔、なんだ」

 静かに、手にしていたグラスを置く。
 大分小さくなった氷に、隣で僕の話を聞いてくれる親友の姿が映りこんだ。

 一つ、深い溜め息を吐く。
 長い間背負ってきた重荷をようやく降ろせる安堵感。降ろした後の不透明感。色々な感情が混じった溜め息だった。
 僕はこうして語ることで何を期待しているのだろうか。自分ではわからない。いや、わかってはいるけど、わかっていたくない。玉虫色のままの方が、まだいい。

「懺悔、かい?」

 少し驚いたのか、聞こえた声は珍しく上ずっていた。

「うん、間違いなく懺悔、だね」
「届け先は誰だい?」
「とりあえずはキミにしておくよ」
「そうか。……ならこちらもとりあえず聞かせてもらおうかな、懺悔とやらを」
「……うん」

 頭の中で今一度内容を整理。よし、大丈夫、きっと大丈夫。
 深く深く息を吐きだしてから、僕はゆっくり話しだすことにした。

「これは高校時代から続く話なんだ」
「ほう。なかなか長い話みたいだね」
「うん、長いよ。何せ6年分あるからね」
「というと、今現在まで、かな」
「正解。物分かりがよくて本当に助かるよ」
「誉めても何も出ないよ」
「期待してないさ」
「そうか……続けて。少なくとも終電までは聞いてあげるよ」
「なら少し急がないといけないね。
 ……高校に入学して、1年のクラス。僕はある女の子とたまたま隣同士の席になった。キミも知ってるだろ?」
「……ああ、よく知ってるよ」
「だろうね。まあさておき。
 まわりに知り合いが少ない新生活、自然と近い席の人たちから仲良くなる。実に自然な流れだね。だから、その子とも仲良くなった。よくある話だね」
「本当に、よくある話だね」
「だけど、その先は少しだけ、よくある話じゃなくなったんだ。
 晩夏のある日、その子から、こんな相談を受けたんだ。高校生の間、私と付き合っているフリをしてくれ、ってね。偽装恋愛、作り話の中じゃあるかもしれないけど、現実ではそうそうあるものではないと思わないかい?」
「……うん、なかなかあることじゃないね」
「僕はしばらくの間、考えた。まあ、いきなりだったしね。だけど理由を聞いて、僕はOKを出したんだ。
 彼女には許婚がいた。高校を卒業したら、その人と結婚しなくちゃならなかった」
「古い、考え方だね。そういう考えは嫌いだよ」
「わかってるさ。その子は自分の人生を決められるのが嫌だったんだ。許婚なんてもってのほか。自分の結婚相手は自分で決めるって。だから、誤魔化す必要があった。それで、僕らは高校卒業まで、偽りの恋人同士となったんだ」
「ちょっとしたドラマだね」
「売れなそうだけどね」
「そういうこと言うなよ、君。昼間の時間帯にはちょうどいい」
「……言ってて悲しくならないかい?」
「そうでもないさ」
「ならいい。続けるよ。
 先ほど言ったとおり、僕らが仲良くなった後の話だから、恋人のフリをするのはわけないことだった。そういう意味じゃ、僕は本当に適切な存在だったんだろう。うん、僕らはね、本当に演じ切った。必要以上に、ね。やらなくていいはずの、恋人同士に起こりうる全ての行為も行なった」
「……それは」
「うん、肉体関係だね。いや、この言葉は昼ドラには相応しくないね。ベールに包むとすると、ラブメイクだね」
「英語圏ではそのものを指す言葉だけど」
「いいんだ、ここは日本だし。ある意味適切な言葉でもあるしね。まあ進めよう。
 本来、そういった行為は必要ない。見せ付けるなら口付けを交わすだけで良かった。だけど僕らは、気付けば数回ではすまないくらい、身体を重ねていた。ああ、こっちの方が適切な表現だったね」
「……それはどうでもいいことだよ」
「気になっただけさ。前からわかっていたけど、もう少しツッコミを入れるのは抑えてほしいなぁ」
「これは性分なんだ。ほら、続けて。終電には間に合いたい」
「うん。ここからが難しいところなんだ。
 僕らは完璧に恋人同士だった。卒業までね。だけど、ある事実が判明して、計画そのものが無意味になったんだ」
「……ふむ」
「彼女の許婚が、諸般の事情、まあ家庭内不和に近い事情なんだけど、家を出ることになった。となると、当然婚約は解消。その子は、自分の意志で結婚相手を決められるようになった」
「だから、あえて偽装恋愛を行なう必要がなくなったんだね」
「そういうこと。偽装が偽装じゃなくなり、僕らの関係は非常にあいまいなものとなった。だけど、互いの事情で僕らの間に、偽装が本物になる、という選択肢は現われなかった。不思議だね、偽装恋愛中に身体を重ねるくらい……」
「僕らは好きあってたのに、かな」
「正解。実に歪な関係だよ。僕は僕で、彼女に付き合えない理由を言わなかったし、彼女も僕に理由を打ち明けることはなかった。ただ別れ、いや、偽装をやめることにして、そして、卒業から現在に至るまで、彼女と僕は恋愛関係になっていない、と。
 ……ここまでは、話の前振りなんだ。僕がキミに聞いてほしい、そして答えがほしいのはこの先」
「……ふむ、聞こう。私が答えられる範囲でね」
「……よくよく考えてみれば、偽装恋愛って効果がないことなんだよね、普通は。単なる虫除けならまだしも、許婚なんて、他に恋人がいるからじゃあ通用するわけがない。そのことはお互いに知っていた」
「そうだね、まったくといっていいほど無意味な行為だね。だけど、君だから通用する理由があった」
「うん、僕が、肝心の許婚だったんだからね」
「……知ってるよ」
「そりゃあキミは僕の親友なんだから、ね。
 ひどい偶然だよ。それまで1回だか2回だかしか顔を合わせたことのない許婚が、同じ高校同じクラス隣同士の席なんだからね。僕らは、許婚であることは関係なしに仲良くなってしまった。
 許婚同士が偽装の恋愛関係を見せ付けるメリット、それは、両方の家族を騙せること、そして別れるというイベントを演出すれば円満な破談に持ち込めること。完璧、だったろうね、彼女の計画は。無意味になったとはいえね」
「……うん、完璧だったね」
「だけど、僕は家を出て、全てが無駄になった。知ってるだろうけど、彼女から相談を受ける前から家を出るつもりじゃなかったし、かといって許婚だからという理由で結婚するのも反対だった」
「うん、そうだね」
「ただ、許婚ということ、そして偽装恋愛が僕と家族、主に父親との仲を冷えさせたのも事実だった。古い考え方を押しつけられるのがやだという彼女の考え方が移った分、拒絶反応が出始めたんだろうね。
 そして僕は家を出た。何もがなくなったから、彼女との間に成り立った関係も成立しなくなった」
「……そろそろ本題に入ったらどうだい? 先程と同じことを繰り返して言っているよ」
「そうか、気付かなかった。自分でもうまく話せないんだ。だからその辺りは我慢してくれると助かる」
「我慢するよ。でないと話が終わらなさそうだ」
「ありがたい。先に懺悔……僕が彼女に伝えなかった理由を言おう。僕はね、自信がなかったんだ」
「自信……かい?」
「そう。許婚じゃない僕という人間そのものに魅力を感じてくれるのか、家を飛び出して先行き不透明な僕と一緒にいることで苦痛を感じさせやしないか、そして何より、そういった理由から臆病になって、あくまで仮初めの関係だった僕らの関係が本物になってほしいんだと伝えると拒絶されるんじゃないか……恐かったんだよ、僕は。だから、偽りの関係が終わってしまっても、何も言うこと、できなかった」
「……臆病だよ、本当に、君は。拒絶されるわけがないと信じることができなかった」
「自分でも臆病だと思うさ。なのに……
 中途半端に僕はその子の傍にいることを望んだ。何故か理由はわからないけど、その子もまた、僕と同じく付き合うことはないけど傍にいることを望んだ」
「何が、言いたいの、かな?」
「キミは僕の言わんとしていること、後悔していることがわかってるだろう?
 あの時、付き合うことをよしとせず、だけど傍にいることを望み合った僕らは、親友という新しい関係を結んだ。あの時以来、キミは僕に異性であることを認識させないよう、わざと口調を変え、男っぽく振る舞うようになった。僕はそれに甘んじた」
「……止してくれよ。もうそれは昔の話じゃないか」
「いや、現在進行形だね。現にキミは男言葉のままだ。
 そして……キミがキミ自身を偽ってまで僕の傍にいてくれる、僕がそれを受け入れ続けることはひどくキミを傷つけているんじゃないかい?」
「そんなことは……それに、私自身も望んだことだ」
「……嘘だね。ひどく歪んだキミの表情が全てを物語っている」
「っ!?」
「やっぱり、僕はキミを傷つけていた。3年間も、ずっと。……ごめん。もう傷つかなくていいよ。もう、女の子に戻ってくれよ。そして……
 始めからやり直さないかい? 遅いかもしれないけど、今から、嘘の恋人同士や、親友同士の間柄じゃなくて、本当の恋人同士として」
「……本当に、」
「うん?」
「私で、いいの? 君を利用していた、こんな私でいいの?」
「……希美がいいんだ。全て関係なくて、僕は希美が好きだから。高校に入学して、隣同士の席になって、仲良くなった希美が好きなんだ。だから、キミなんていうあだ名で呼ぶ仲じゃなくて、希美という名前で呼ぶ昔のような関係になりたいんだ。今度は偽りじゃなくて、本物の恋人、として」

 長い話を終え、僕はまた一つ、溜め息をついた。
 全てを吐き出すことが、ようやくできた。ただの自己満足にしかすぎないけど、僕らの間には重要なことだったと信じることにした。

 希美は下を俯いて、何かを考えているようだった。僕は気長に待とうと、新たにロックを頼み、出てきたグラスを手にしたところで

「ねえ」

と呼ばれた。
 その声に反応して顔を向けると、頬に手を添えられ、気付いた時には唇同士が触れ合っていた。
 親友から、恋人へ……3年ぶりの感触を味わうため、グラスを置き、バーの店内であることを忘却して、舌を差し入れた。

 ――あの頃とは違う大人の味、スコッチの味が少しだけ脳裏を刺激した。


 ―※―


「……結局、終電なくしちゃった」
「それは、本当に、ごめん」

 あの後10分くらい固まったところ互いにで我に返り、顔や熱を覚まして出るまで30分もかかった。

 真冬の歓楽街。ビルの隙間から吹き付ける風は容赦なく身体を突き刺してゆく。

「そういえば」

 寒さで頭が冴えた分、僕はすっかり聞き忘れていたことを思い出した。

「希美が付き合おうとしなかった理由聞いてないや」
「どうしても聞きたい?」
「それは、ね。僕は話したことだし」
「それ、押しつけよね?」
「堅いことはいいっこなし、で」
「……わかったわよ。
 私も君と同じで恐かった。臆病だった。私が妙なことを頼んだから、君が家を出る羽目になったんじゃないかと思ったし、嘘だらけの関係や制約がなくなったことで、逆にどう対応すればいいのかわからなかった。好きという感情の上で演技をしてたから、演技という覆いがとれたときに戸惑っちゃった。そして何より、今更偽りじゃなかったんですと言って関係が壊れるのが恐かった。罪悪感と恐怖がごっちゃになっちゃったから、混乱した頭でどうにか一緒にいられる方法を、って考えたら、こうなった」
「なんだ、一緒だったんだ」
「ある意味ちょうどよかったかもね」
「それに気付くのに、3年……まあ今後の人生を思えば」
「……今後の人生?」
「そ。まあこれを受け取ってくれたら、嬉しい、かな」
「これって……少し気が早くない?」
「僕もそう思うけど、3年足す3年の併せて6年分、ブランクがあるからね。ほら、左手出して」
「う、ん……」
「まあ、今回は約束の印、ということで、希美の分だけしかないけどね。ちなみに裏側には希美の名前を彫ってもらったよ。もらってもらえるよう、ね」
「……もらって、いいの?」
「もらってもらわなきゃ困るよ。僕には合わないサイズだし。
 ……で、終電ないんだったらどうするの?」
「泊まる」
「うちに?」
「いいでしょ? 許婚でも偽の恋人でも親友でもなくて……未来の旦那さん」
「歓迎するよ。許婚でも偽の恋人でも親友でもない、未来の奥さん」



 指輪の裏に刻んだ名前、それは……



 ――NOZOMI――