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一次/Even if -- called stupid,……

 私は酷く狼狽していた。
 届いたファンレターの中に、実に奇妙なものが混じっていて、それをつい目にしてしまったからだった。手紙にはファンの方の置かれている境遇、心境がつらつらと書き綴られていた。末尾は、

『どうかこれを使って、私を満足させるような、酷く、醜く、暗くて、淫靡なセカイを作り上げてください。お願いします』

 という文面で結ばれていた。

 どういうわけか、手紙の中に私の心を揺さぶる何かが含まれていて、見終えた直後から創作意欲がかき立てられ、あれよあれよという間にストーリーが構成されていった。私以外の私が作り上げたみたいだった。
 手紙の中身にも狼狽したし、こんなものを作れる私自身にも狼狽してしまった。

 でも私には、何故だかこのファンの心情が手にとるようにわかってしまった。何を望んでいるのかわかってしまった。

 だから、思いついたまま、文章に起こした。酷く、醜く、暗くて、淫靡なセカイを。
 読まれる方の中には、作中の表現、あるいは話の内容そのものに酷い嫌悪感を覚え、場合によっては吐き気等を催すかもしれない。弱い方は読まないことを強くお勧めする。また、精神的に未熟な方もあまり読まないほうがいいだろう。先を読んで何か私の意図しない方向に感化されて事件を起こしては、「あいつがあんなの書いたのが悪いんだ」などといわれても、責任を取ることは出来ない。予めご了承願いたい。

 ここまで来ても読みたいという奇特な方。おそらく貴方は……



 ――私と同じ、愚か者なのだろう。ようこそ。
(作者の前書きより)



 ――*――



「とっくの昔から、私はこうなるんだなあってわかってた気がします」

 話の最後。机を挟んでやたら温和そうな笑顔を浮かべている男性に、私はぽろりとこぼしてしまった。別にその胡散臭い笑顔に騙されたからではなく、淡々と自分の中身を語ることによって心のゆとりが限界を迎えてしまったからだ。こうしないと、進めない。何かが溢れて、収まりがつかなくなってしまう。

「とっくの昔って、いつ頃からだい?」

 笑顔だけでなく声色までもが胡散臭い、メガネをかけて少し頭髪が後退しだしたこの男は、私がこうなったという中身ではなく、時期に焦点を絞って質問してきた。まあ、当然だろうか。あからさまな地雷に触れて私がどうにかなったら、彼の責任問題になるのだろう。もっとも、既にどうにかなっているけど。

「昔は、昔です。物心ついたころから、としか言えません」
「そうか……」

 相槌をうって、私の言葉をノートに書き連ねていく。私の喋った言葉数より明らかにペンの動く量が多いことから、彼なりの解釈等もそこには連なっていることだろう。ご苦労なことだ。そんなことしても、無駄だというのに。言葉なんかでは私の内を伝えられない。いや、その手段自体が存在しないに違いない。まあ、せいぜい頑張って中身のない言葉たちを書いていってくれたらいいと心内で罵った。少し空しくなった。

 もうこれ以上は無理と判断したのか、二、三言挨拶を口にして、彼は部屋を出て行き私はひとりぼっちになった。
 もっとも、寂しいとは思わない。思ってはいけない。この先しばらく、この状況が続くのだから、今から根を上げていては先が思いやられる。
 私が把握できる本物の想いと、交わした言葉だけを抱えていれば、それでいい。

 視線を上げると、小汚い天井に想いの宛先が浮かびあがり、消えた。
 まるで私の存在みたいだなあ、と少しだけ感じた。



“自分の信念を曲げない奴は、愚か者でもあるのよ”

 確か、年末年始の素敵な休暇明けにみっちーあたりに私自身が発した言葉だった、と思う。そうだ、三夜連続で放送されていた古畑についてあーだこーだと喋ってたときのはず。イチローメインの回で犯人役だったイチローの行動の不可解さを、数人であらゆる角度から色々と非難していたような気がする何が『僕はフェアプレーを心がけてますから』だ。人を殺してる時点でフェアじゃないっての。薬を飲ませたときにフェアプレーを心がけた? 知るかそんなもの。全くわかってない。そんな奴は人殺しなんてしない。それはさておき。
 帰りのSHRが終わり、みっちーからの「今日はスタバってこーよー」という垂涎モノの誘いを諸々の事情で泣く泣く断り、また明日と挨拶してから廊下に出て約三歩。私の言葉に思いっきり当てはまる奴が、今目の前に居た、いや、隣の教室から現れた。つまりは愚か者。

「……何やってるの」
「や、ちょっぴり人待ちを」
「……まーた女? どうせこの間とは別の子でしょ」
「ぐ、正解だが……んなに睨むな。コワいぞ」
「あんたは敵ね、世界中の女子の」
「……いーもん、こうして一人でも来てくれるなら俺はそれで幸せだぁ」
「勝手に言ってなさい。どうせまたすぐに愛想つかされるわよ」
「ぐぐっ、人の傷口にぐりぐりと塩塗りこみやがってっ」
「事実でしょー高校に入学してからのこの8ヶ月ちょっと、合計何人と付き合ってはふられたを繰り返したか数えてみる?」
「……それは、止めてくれ……」

 いつもの通り適当にいじめてみて、凹んだ顔を見て満足感を覚える。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、幼少期からの慣習は未だに抜けることなく娯楽の一部を担ってしまっている。人間なくて七癖。その癖の対象になってしまった人にはご愁傷様以外の言葉を掛けられない。

「まあこの辺でやめておくわ。どうせ後でも続けられるんだし」
「家でもやるんか……ああ、俺の安穏の日々はどこにあるの!?」
「ないわよ」
「あっさり言うな、その元凶」
「へぇ、やっぱり続ける?」
「ゴメンナサイ、後で生クリームのせプリンでもおごるから、勘弁シテクダサイ」
「物でつられてそうな気もするけど、まあいいでしょ。私だって忙しいし」
「なら人をいじめるんじゃねえ!」
「はいはい、負け犬さんさようならー」
「負け犬でもねえっ!」

 くそーっ、家帰ったら覚えておけよ、なんていう敵役専用の捨て台詞まで耳に届いてきたが、さすがにそこまで反応していたらやることやれなくなるので、私は無視して歩き続けた。
 角を曲がり、階段を一階分下ったところで深呼吸一つ。今の会話を反芻して、自分と昔の自分とさらに昔の自分にクロスチョップを叩きたい気分に陥る。本当に、三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

 幼少期に淡く抱いてしまった恋心は、私をひどく歪めてしまっていた。



 葛城日向。葛城葉一。前者が私の名前で後者があいつの名前。共に生年月日は1990年2月11日。高一なのにまだ十五歳の早生まれ組。流石に産まれた時間までは知らないし、知ったところで意味もない。血液型も同じAだが、こればかりは本当なのかと疑ってしまうことがある。同じ血液型なのにこうも性格が違うとは。まあ、血液型による性格占い自体が相当に怪しいし考え方とかは近いものがあるけど。

 苗字が一緒、誕生日も年齢も一緒ということからわかるように、私と葉一は二卵性双生児の姉弟もしくは兄妹だ。つまりは双子。別にこれ自体は珍しいことじゃないし問題もなにもない。さらに言うなら、どちらが年上なのかなんていう双子間にありがちな問題も発生していない。どっちが年上だって何も変わらないじゃんという共通見解が存在したのも、やはり双子同士思考回路が似ているからだろうか。それはさておき。
 問題は、私が片割れに対して、姉弟もしくは兄妹間にあるべき感情以上のモノを、私が持ってしまっていることだった。家族愛姉弟愛もしくは姉弟愛ではなく男女の間に存在する愛情、そんな厄介なシロモノを小さい頃から抱えていた。いつからなんてわからない。物心ついたときから私は葉一に対して好意の感情を抱えていて、小学生中学生高校生と段階を踏んで外見も少女から一人の女となっていくに連れて、純粋な好意から恋愛対象としての愛情へと変化もしていった。

 自分で言うのもなんだけど、非常に残酷な恋だと思う。
 どれだけ相手のことを想っても報われることがないし、報われてはいけない。ドラマなんかの世界では、姉弟間もしくは兄妹間の愛を禁断の恋だの何だの言ってもてはやすが、現実ではそういうわけにはいかない。目には見えないけどまん前に立つだけで、背伸びしたり飛び跳ねたりしたくらいどころか、どんなに高く飛ぶことが出来るロケットがあっても決して乗り越えることの出来ない高さの壁があるとわかってしまう。壁に背を預け私はいつも、誰にもばれないように凹んでいた。高い分、安定して私を支えてくれるのは皮肉以外の何ものでもなかった。

 加えて。葉一は女遊びが大好きな人間として一年の間で噂が広まるくらいに、色々な子と付き合っていた。周囲曰く合格点以上私曰く完璧なルックスと体型に加え、それなりに付き合いやすそうな性格と考えられているためか、二・三回性交渉→お役ゴメンのパターンをひたすらに繰り返し、私からしてみたらその姿は道化としか思えない。いくら思考回路が似ているとはいっても全てを把握できるわけでもなく、葉一が本当に女好きなのかただただ性衝動に身を任せたいだけなのか、はたまた毎回真面目にお付き合いはしているのに……なのかは知らない。私にいえるのは、そんな葉一は愚か者にしか見えないということ、そして私ならいくらでも欲望を受ける捌け口になるのに、ということの二つだけだ。後者は口に出来ないけど。
 だいたい、前提条件である『付き合いやすそうな性格』というのは葉一が学校で演じているキャラクターだ。家では数割トーンダウンしてお調子者の仮面が剥がれる代わりに、それこそ本当の意味で『付き合いたくなる性格』とも言える、優しい好青年となっていた。私には、何故内と外で性格を変えるのかわからないし、今ではどちらが本当の葉一なのかもわからない。

 葉一がこんな風に二面性を持つようになったのは、私の胸が少しずつ膨らみだし、好きが恋なんだと気付く頃――ようするに中学生に入ったばかりの思春期入り口くらいの頃だったと思う。誰にでも向けてたステキな少年スタイルに、徐々に徐々に女の子好きという側面が加えられ、いつしか外ではスタイルと側面が入れ替わってしまっていた。ちょうど私が、素直に気持ちを表すことが出来なかったために、好きな人に歪んだ形でしか接することが出来なくなったように。
 何が原因かは知らない。知りたくても、触ることが出来るのはきっと恋人の関係になった人だけ、双子という関係だけでは触れちゃいけないんだという囁きが、いつだって私を躊躇させて今日に至る。きっと、未来永劫私は知ることがないんだろう。

 血を分けた実の双子が結ばれるなんて、ありえないんだから。

 葉一は愚か者だという確信は揺るがない。
 でもそれ以上に、結ばれないってわかっているのに双子の片割れを愛することを止めない私が、愚か者だと思う。

 そう、愚か者だから――

 時刻を確認する。
 18時23分。19時という普通の家よりいささか厳しい門限はきっかり守る葉一が、今日の女と別れる頃合だ。
 私はメモ帳を取り出し、準備にとりかかった。
 コレをしているときの私自身を鏡で確認したことはないけど、きっとひどく歪んだ笑顔を浮かべているに違いなかった。


「はぁぁぁぁ……」

 生クリームのせプリンはやっぱりおいしい。生クリームの甘さとプリンの甘さとカラメルの甘さ、三つの甘さが混ざって奏でるハーモニーは最高としか言いようがない。

「はぁぁぁぁ……」

 スプーンを差し込み、掬い上げた先には白と黄色とカラメル色のコントラストが綺麗に浮かび上がっていた。口の中に放り込むと、それはもう、

「はぁぁぁぁ……」
「ってさっきからはぁはぁうっさいわね……黙って食べなさい。発情期の猿じゃないんだから」
「人を盛った猿みたく言うな。……はぁぁぁぁ、旨いなあちくしょう……」
「旨いって感情はこれっぽっちも篭ってないわね、むしろプリンに恨みがあるとしか思えないし」

 やれやれと肩を竦めながらも、私はスプーンを動かすのを止めなかった。
 私の部屋で二人、双子とはいえ男と女がプリンを食べあってるというのは何だか変な感じもするが、よくあることなのでシチュエーション自体は気にしない。私は気にするわけにはいかないし、葉一が気にするわけがない。
 ぺりっ、とまた奥底で何かが痛んで剥がれていったけど、拾い上げるのはもう億劫だった。

「……だってさー、まただぜ? アレか、俺は水子の祟りでも受けてるのか?」
「へえ、思い当たる節があるんだ。お盛んなことで」
「ば、馬鹿、そういう意味じゃなくてだな、あーもう! 何でこんなにふられるんだろうなあ、それだったら最初からOKださなきゃいいのに……」

 まるで細く鋭利な針が、深く深く埋まっていくような感覚。
 これで、何本目だろうか。数えたくもない。

「……まあ、次があるわよ、次が。もしくは懲りてしばらく行動しないとか。いつか本当に世界中の女の子の敵と見られるわよ?」
「そんときは唯一の味方でいてくれるか?」
「ヤダ」
「あーそー……折角プリン奢ってやってるのに」
「それとこれとは別問題。ああ、プリンはご馳走様」
「……くそう、奢りがいのない奴め。まあいいや、俺はもう不貞寝するよ」
「ん」
「……毎回毎回、人の愚痴を聞いてくれてありがと」
「いえいえ、双子ですから」

 私のそっけない答えに小さく鼻で笑うような返事を返した後、葉一は自分の部屋へと帰っていった。いつもいつも、最後に寂しそうな表情を浮かべるのは、彼女がいなくなったことから来る寂しさのせいなのだろう。
 あいつがふられる度に行われる残念プリンパーティは、今夜も、今までと同じように行われ、終わった。後に残るのは、五割の寂寥感と四割の充足感、そして一割の罪悪感だけ。
 それでも、私は満足してしまう。たがだか四割で、十分なのだ。イチローよりいい打率だし。その満足感に抱かれたままベッドに潜りこむのも、いつものこと。指をかみ締めて声を抑え、つかの間の享楽に溺れるのもいつもの事。布団の中で、篭る熱に浮かされ、激しくしてしまうのもいつもの事。

 ――自分の指で絶頂を迎えた後、一割の罪悪感が五割になるのも、いつもの事だった。

 行為が終わった後、私はベッドの上で、壁にもたれ掛かって虚空を眺め続けた。
 前と後では、室内の空気が別のものに感じられる。前は、単なる思春期の女の子の部屋、後は、

 ひどく濁った部屋。黒く、醜いモノがうごめく部屋。



 調べた結果、葉一がふられる理由は主に三通り。女の方が遊び半分だった、女が葉一に対して疑問を持った、そして、理由なく振られる。この三つ。
 一つ目は簡単。そのまんま。昨今の女子高生は興味半分で誰にでも身体を開きSEXすると週刊誌が叫ぶようになって久しいが、多少の誇張があるとはいえ、それらの記事は今でも当てはまるらしい。好きな人にしか抱かれたくないという多少古風な考え方をもつ私には、到底理解できない。そんな人と身体を重ねる葉一のことは、もっと理解できないし理解したくない。
 二つ目は、女側に僅か以上の好意が存在していたけど、葉一の何かが気に入らずに別れたという、至ってノーマルなパターン。

『一緒に居ると楽しいは楽しいけど、葛城君って、どこかカラッポだと思った』
『すごく優しい人だけど、時折、怖い。それがダメだった』
『何だか、恋人同士って感じがしないのよ。私を見てくれてるようで、見ていないみたいな……女好きの噂は、きっと嘘よ。そんな人は、あんな目をしない』

 贅沢は敵だ、という戦時中の言葉を知らないのだろうか。私だったら別に構わないのに……と嘆いたところで仕方ないけど。ともかく、私だと考えもつかない理由で、女の方が別れを切り出すパターン。
 そして最後は。

 ――最初は軽く、PCからのメール。適当に言葉を並べて、フリーのアカウントで、海外通して、何通かを携帯に送りつける。緩いものから、徐々にきついものへ。死、とか、呪、とか、字だけじゃ何にも効力を持ちはしないはずのに、受け取る側には強烈なプレッシャーとなるから不思議だ。弱い人は、ここで落ちる。
 次は、手紙。手袋をはめて指紋は残さないように、筆跡鑑定とかされても大丈夫なように左手で、メールと同じ文面を綴っていく。赤いボールペンで書くだけでそれらしく見えるから視覚効果というのも不思議だと思う。書ききったら、わざわざ三駅くらい先の隣の市のポストに投げ込む。怪しまれるといけないので封筒の宛名書きは印字。数通くらいして、ついでに剃刀の刃やら藁人形やらも入れだす頃には、九割九分以上が脱落。お疲れ様――

 ここから先が必要だったのは、今のところ二人しかいない。きっとこの人たちは私と同じ感性を持っていて、葉一の全てを受け止めることが出来た人なんだろう。だから、精一杯のことをした。

 ――猫の四肢を切断するのは、思ったよりも楽な作業だと気付いたのが一回目。頸を紐で絞めたあと、間接に丁寧にナイフを入れれば、平均的な十五歳女子である私にも出来た。血は生臭かったけど、作業中は平気だった。全てを終えた後はひたすら吐いたけど。
 二回目には、前足後ろ足に加えて、肋骨もおまけにお届けするくらいの余裕が生まれるのだから、女って生き物はすごいなあと自分で思う。もっとも、私だけなのかもしれないけど、考えないことにする。それがいい。
 使った猫は、近くの公園に埋めた。手足を奪ってゴメンナサイ、命を奪ってゴメンナサイ。だけど、とっても楽しめました――

 さすがに、切断された猫の手足を受け取ってまで付き合いを続ける人はいなかった。私なら気にしないけど、私じゃないから仕方ないだろう。

 きっと、いや間違いなく、私は狂っていると思う。愚か者だと思う。
 自分が決して結ばれることのない位置に居る嫉妬心から、葉一と付き合う女たちに嫌がらせをして妨害しているのだから。そして、そういうコトをしている最中、何の罪悪感も嫌悪感も抱かず、平気で血まみれになって生き物を切り刻んでいるのだから。
 それでいて、後になって一割だけ復活するのだからなおさら性質が悪い。
 好きな人、愛している人を傷つけているという自覚すら一割しかないのがまた性質が悪い。心の一部では、葉一がこうなることを望んでいるのだと錯覚しているのだから、歪み具合は相当なものなのだろう。歪んでいることすら自覚できなくなる日が来るのも、そう遠い未来ではないのかもしれない。だけどそれまでは、決して明かすことの出来ない想いを抱え続けて、歪み続けながら、全力でこっそりと、葉一の恋が上手くいかなくなるよう努力し続けるのだろう。

 私はベッドの中に入り、また手を伸ばした。



 ――無限に続く地獄は、ここにある。


 執筆後、私は真っ先にこの作品を書くきっかけをくれたファンに会いに行った。
 私の想像通りの人だった。

 その方の家のご近所の喫茶店で対面して、挨拶もそこそこに、刷り上ったばかりの原本を彼女に手渡した。彼女は「ありがとうございます」と一言告げてから、私の本を読むことに没頭しだした。その様子を、私はコーヒーを飲みながらじっと見守っていた。

 それほど分量がない本(本というよりもむしろ、雑誌掲載用のゲラ刷りなのだが)を、彼女は読み終えるのに三十分もかけていた。何度も何度も、読み返しているようだった。

 読み終えた後、彼女は真っ先に

「ここにいるのは、愚かな人たちだけですね」

 と言った。私はその言葉にいたく満足感を覚えた。

(作者の後書きより)



 ――*――



 色んな所をたらい回しにされた結果、私は少年院に入所することが決まった。
 精神鑑定にダメだしされて檻つきの病院に入れられるか、はたまた刑事裁判に掛けられて、無期懲役と宣告されることすら想定していた私としてはいささか拍子抜けの判断だったが、仮出獄までの最低七年が半分以下に減るのだから、何の文句もない。どうやら思ったほどには、私の罪というのは重くないようだ。子供がたかが一人殺した程度では重大視されないくらいに、今の日本は腐りきっているのだろうか。甚だ遺憾だけど、人のことは言えないので黙っておいた。こんなに歪んでいる私を、精神鑑定的には正常で更生の余地有りと判断した医者にも疑問を抱かざるを得ないが、別に檻つき病院には入りたくないので、やはり黙っておいた。

 少年院での生活は、予想していた程度には無味乾燥としていた。なので予定通り、それなりの行動・態度で過ごすことにした。監視側には見やすい子とされたが、そんなことはどうでもよかった。

 事の直後はもう会うこともないだろうと思っていた人が、かなりの頻度で会いに来てくれたことのほうが、余程重要だった。
 これだけは、何があっても変わらないらしい。さすが、三つ子の魂百まで。

「よう、元気か?」

 毎回、あいつは、私に、優しい笑顔を向けてくれた。
 それだけで、よかった。


 遠い未来は、案外近かった。人間の予感なんて当てにならないと痛感した。



 朝のニュースでは、うちの近所で屋外で飼われている犬や野良猫が連続で殺される不気味な怪事件が、五番目くらいに報道されていた。よく聞くと、私ではない他の誰かが、快楽目的で四肢を切断してその辺に放置しているらしい。私だったら埋めるのに。どうやらその点は、私と違うらしい。歪んでいるのは変わらないだろうけど。
 人が殺されたわけでもないので、ニュースはすぐ次のものへと移った。人々の関心は、ヒトが殺されなければ集まらない。何て矛盾。かわいそうな動物たち。

 適度に感傷に浸ったところで、私は学校へ行く準備を終え、玄関へ向かった。靴を履いていると、珍しく葉一が、

「おーい、ちょっと待ってくれ。一緒に行こうぜ」

 と声をかけてきてくれた。素直になることを許されない私は、いつものように嬉しさを歪んだ心の中に押し込んで、

「早くしないと先行くわよ」

 とだけ返した。玄関の扉を開けて数歩進んだところで、後ろから慌てて葉一が出てきてくれたことが嬉しかった。きっと、今夜もまた葉一のことを想って致してしまうのだろうと、我ながら情けない予測をこっそり立てておく。

 駅について、電車に乗って、最寄駅で降りて。高校に入学してから既に何度も通ったルート。日常に埋没するはずなのに、好きな人と一緒に歩くだけで見え方が変わってくるのだから、人の心のありようというのは不思議だと思う。そして、この瞬間だけは、私はただの恋する女の子になれた。自分で考えてて恥ずかしいが、顔に出ることはない。


 ――きっかけは、何処にだって転がっている。


 校門が見えるところで、みっちーと合流した。意外なことに、みっちーと葉一は会話を交わすのが今回が初らしく、自己紹介を交わしている。親友とも言える人と双子の片割れ、私とそれぞれとの会話で話題に上ることは多かったので間接的な面識はあるだろうけど、直接ご対面が初めて、とは思いもよらなかった。高校に入学してからもう二ヶ月ちょっとで二年目に突入するというのに。
 校門から昇降口へ。日常へのアプローチを三人で。靴を脱いで上履きに履き替え、葉一のクラスの前で二対一に別れて、みっちーと二人で教室に入って、机の上に鞄を置いた時、ブルブルと携帯が震えだす。開いて液晶を覗いてみると、そこには葉一からのメール受信を知らせるメッセージが表示されていた。

「ねえねえ、ひなー」
「んー?」

 私と同じように鞄を机の上に置いたみっちーは、私のもとへとやってきて、

「話には聞いてたけど、やっぱ葉一君っていい人っぽいねー」

 と、きっと私にしか感じ取ることの出来ない感情を込めて話しかけてきた。

「あれで? 私には全く思えないけど」
「そうかなぁ。確かに噂では女の子の敵、って感じだけど、私の勘だと何か少し違う感じなんだよね」
「……違う?」
「うん、女遊びが好きだとか、そういうのじゃなくて、何ていうかなぁ……きっとそういった面は嘘なんだよ」
「……よくわかるね、今日初めて話したっていうのに」
「まあひなから話は聞いてたから、それと周囲の評価とのギャップ自体は気になっててね」
「葉一に興味を持った、とか?」
「あ、あははー……それもちょっぴり」

 間違いない。みっちーは、小さな想いを芽吹かせている。
 同じだからわかること。親友とか、そういうのは一切関係なく、私がこっそりと葉一のことを想っているからわかること。
 そこからはみっちーの話を適当に聞き流して、葉一からのメールを読むことに注意を向けた。

『今の子、友達だよな? 気に入ったから後でちゃんと紹介して』

 ――べりべりっ。
 ――私の中で、決定的な何かが、剥がれ落ちていった。



 二人は気が合ったのか、本格的に仲良くなりだすのに三日とかからなかった。
 私はその様子を間近で見ながら、本格的に心が歪んでいくのを全身で感じ取っていた。

 二人から恋人関係になったとの報告があったのは、初会話から五日後のこと。みっちーが嬉しそうにしていたのが、また私の心を歪める。
 双子の片割れの恋人であり、且つ親友とも言える人に対して、今までと同じように私は別れるかどうかの調査をし、別れないと判断して妨害活動に乗り出した。そこには、親友とかそういった情を一切挟むことがなかった。

 最初はメール。次に手紙。
 散々やってきたことを、またも私はやっていた。
 だけど、残念プリンパーティは、行われない。

 五割の寂寥感、一割の罪悪感だけが募っていく。イライラする。
 だけど二人が別れることはない。

 イライラしながらも、抑え切れないモノがこみ上げてきて、夜になって私は一人、ベッドの中で色んな所を濡らす。瞳も、股座も。だけど満たされない。満たされないまま、涙を拭って、溢れてくる液体を指で絡めとって、自分の温もりしかない胸元にも手をやって、何かを満たそうと何かを打ち消そうと激しく動かして……
 頂点に、登りつめてしまった。何も出来ないまま。
 身体だけは先に満たされ、精神は満足することなく宙ぶらりんとなる。
 誰にも聞かせたことのない、色の吐いた吐息を吐き出しながら、ナカが黒く塗りつぶされていく。

 もうダメだった。限界だった。抑えられなかった。この間剥がれていったのが、最後だった。
 今、私の僅かに膨らんだ胸を切り裂いて見せたら、きっとそこにはキズだらけでどす黒く変色した異質なナニかが中心に居座っているのを確認できたことだろう。

 時計を見やると、既に丑三つ時といえる時間に差し掛かっていた。
 立ち上がり、用をなさなくなった下着類を脱ぎ捨て、かわりに闇に紛れることが可能な黒い服装で身を固め、机の一番下の引き出しに隠してあるスニーカーを履き、それから今度は一番上の引き出しから、愛用のブツを取り出し、窓からこっそりと、静まり返った外へ繰り出した。

 例の動物の事件のために見回りが厳しくなってるかと思ったらそうでもなかった。日本の警察は何をしているのだろうか。私みたいな不審者を捕まえるためだと思うのに。
 妙な愚痴を吐きながら、誰にも見つからないように道を進んでいく。
 そして、ソレはすぐに見つかった。

「……おいで」

 声をかけると、小さくにゃーと鳴いて寄って来るソレ。まだ子猫。抱きかかえても逃げようとしない。危険というものを教わる前に、一匹で出てきてしまったのだろうか。愚かだ。
 子猫を抱えたまま、人と会う事がほとんどないであろう、近所の森へと入っていく。日中でもあまり日差しが入らず、陰湿な空気を漂わせるこの地は、私そのものでもあった。適当に中心だろうと思われるとこまできて、懐からブツを取り出す。

 既に二度使われた、愛用のナイフ。
 町外れの刃物屋で偶々見つけ、惹かれるように買ってしまった宝物。

 木の葉の隙間から極まれに差し込んでくる月光が、鈍く刃を輝かせる。ここまできてようやく子猫は、私の放つ狂気に気付いたのかジタバタ抵抗するようになった。だけど、先ほどまでは私を満たすために動いていた手が、首筋を掴み、逃げることは叶いそうもなかった。
 怯え、抵抗するエモノを前に、私はまず、背中に刃をあて、一気に切り裂こうと――

「待って、ひな」

 したところで、後ろからの声に振り向かざるを得なかった。


「みっちー……」

 声を聞いただけでわかってはいたけど、信じたくはなかった。
 振り向いて姿を確認したら、信じないわけにはいかなかった。
 私の前には、何故か、親友とも言える人物であり、かつ私の想い人である葉一の何人目だか何十何人目だかの恋人でもある、宮内里奈という名の女性がいた。

 見られたくはなかった。
 私の中で、ナニかが蠢きだす。

 隙を突いて子猫が逃げ出す。どうでもいい。

「ひな、だったんだね。彼が、あんな状況に置かれるようになった理由は」

 一歩、私に近づいた。

「来ないで……」
「私は近づくよ? ひながなんと言おうと。親友だもん。私だけが思ってたのかもしれないけど、ううん、そんなことないよね?」

 また一歩。

「なんで……」
「私だと思ったのって? それともここに来たのかって? どっちも同じ理由。まだ言えないけど」

 さらに、一歩。

「止め、て……」
「止めない。私にはやらなきゃいけないことがある。頼まれたことがある。だから止めないよ」

 ああ、何て強いヒトなんだろう。
 もうまた一歩。

「それ以上、それ以上来たら!」
「手にしてるもので刺すって? 私は、怖くないよ」

 折れてくれない。
 一歩、一歩。

「ねえ、ひな、貴方……」
「止め、止めて、言わないで、ねえっ! 来ないでよっ!」

「葉一君のこと、心の底から好きなんだよね?」

 ――ぐしゃっ。
 ――ぐしゃっ。ぐしゃぐしゃぐしゃ。

「そうなんだよね? だけど、双子のもう一方に恋心を抱くなんて許されないこと。だけど誰かが葉一君の傍に居るのも嫌。だから、色んな手で妨害してきた。時には、血まみれになって」

 ――傷だらけの、歪んだ心は、無残にも踏み潰されてしまいましたとさ。

「ねえ、もう止めようよ。私は誰にも言わない。約束する。今ならきっと戻れるよ。今までに、今までみたくやっていけるよ。だから、」

 ――戻れるって。アハハハハ。

「一緒に、戻ろ? 手を繋いで戻ろ? まだ、間に合うから……」

 笑えない。
 差し出された手首を左手で掴み、力任せに引き寄せ、右手はナイフを握りなおして、

「戻れないよ。冬の夜なのに、分厚い上着を着なかったのが失敗ね」

 親友と思われるヒトの腹部に、服の上から、ナイフを突き刺した。
 鈍い感触、ついで繊維を引きちぎり、進め、肉へと刺し込む。いつまでも手首を掴んでても仕方ないので両手で柄を握りしめ、押していく。ずっ、ずっ。
 刃渡り十センチほどのナイフが完全に埋まったところで、私は始めて顔を上げ、みっちーの表情を伺った。

 泣いていた。

「……戻れ、なかったの……?」

 筋違いな台詞を吐かれた。

「うん、もう無理だと思う。だから刺した。見られたくなかったし。刺してごめんね。あーそうそう、みっちーの言うとおり、私は葉一のことが好き。それはもう、心から愛してる。だから、葉一と一緒にいる女がみんなむかついて仕方ないの。ずるいよね、同じ女なのに、私は単なる双子の片割れ以外にはなれず、他は恋愛対象。世の中不公平だよ」
「ひ、な……」

 かはっ、と可愛らしい吐血がみっちーの口から辺りに撒き散らされる。暗くてよくわからないけど、きっとステキな紅色なんだろう。
 胸の奥から、ある種の衝動が湧き上がってくる。
 ああ、コレは……

「ご、めん、ね、早く気付いて、あげられなくて、ごめん、ね。私、親友、失格、だね」
「みっちーが謝る必要なんかないよ。許されない恋愛に身を焦がした私が悪いんだから。本当、私って愚か者だね。とっとと諦めたらいいのに、それが出来なくて歪んじゃった愚か者」

 みっちーの右手が、ゆっくりと、弱々しく、私の頬に添えられる。冷たい。血が通っていない。そりゃそうだろう。口からも、ナイフからも、血がいっぱいいっぱい零れ出しているんだから。暗くて見えないのが残念だけど、想像しただけでゾクゾクしてくる。躯が熱くなる。感じてしまう。不思議だ。何で私、感じてるんだろう。

「ひ、ひ、な……」
「うん? 頼み事かな? 今、私、すっごく気持ちいいんだ。今なら聞いてあげるよ」
「こ、の後、自主、す、る?」
「自主? 警察に? あー、どうしよう。多分するよ。うん、自首する。だって、人殺しの身で葉一に会ったり甘えたりするわけにはいかないし。そしたら世の中で生きてく意味もないし。少年法、だっけ? 改正されて私みたいな年齢でも刑事裁判受けられるらしいから、それで無期懲役でも希望しようかな。さすがに死刑は嫌だからパスだけど、うん、無期懲役とかちょうどいいよ。七年くらいしかムショの中にはいられないはずだけど。それでもいいや」

 試しに、ナイフを少しだけ揺らす。みっちーの口から、私の知らないみっちーの声が漏れてくる。最高。コレだけでイケる。

「じゃ、あ、お願い……いい?」
「いいよ。今言った通り、サイッコーに気持ちいいから、何でも聞いて、何でもしてあげるよ」
「ひ、な……」

 左手も、私の頬に添えられた。涙と血で一杯のみっちーの顔がドアップで視界に移りこむ。ダメだ、そそられる。口付けしたい。涙を血を唾液を嘗め回したい。

「私を、どうしてもいいから、この先、二度とこんなこと、しないで」

 みっちーの最後の願いだけは、力の篭った声だった。私はこくんと頷き、みっちーはほんの、ほんの少しだけ満足そうにして、それから悲しみを顔一杯に浮かべた後、力なく頭を垂らした。
 最後の願いを叶えてあげるため、私は思う存分、みっちーを嬲った。
 途中まで、みっちーはうわ言のように何かを呟いていた。聞き取れたのは「ごめんなさい……二人共、ごめんなさい……ひなを戻せなくて、ごめんなさい……あなたを戻せなくて、ごめんなさい……」という部分だけ。二人のうち一人は私として、もう一人は誰を指すのかわからなかった。気になってきこうとしたときには、みっちーは既に絶命していた。これだけ開かれたら当然だろうけど。どうでもよくなって、私はまた楽しみに没頭した。みっちーの腹に腕を突っ込んだとき、軽くイッた。自分に入れてないのに、不思議だった。

 そして。
 我に返ったときには、いつものように、五割の寂寥感と四割の充足感、そして一割の罪悪感だけを抱える私が、そこにいた。
 殺戮で快楽を覚えるくらいに歪んだ私が、いた。


 我に返った後の私は、いつも通りの抜け殻だった。
 適当にみっちーの亡骸を埋葬して、血まみれのまま森から抜け出した。
 この後どうしよう、このまま警察に行けば無条件に逮捕してくれるかな、と思案していると、

「……日向」

 一番会いたくない人に会ってしまった。きっと今日は私にとって厄日なんだろう。なんでこんなにも不運が続くんだろう。

「……来ないで、葉一」
「んなわけにいかないだろ。こんな夜更けに出歩く片割れを心配しないわけにはいかない」

 早々に立ち去ってしまいたかった。だけど、脚は動いてくれなかった。いつもこの人の優しい声を聞いて止まっていたからだろうか。ああ、三つ子の魂百までは本当に恨めしい。
 精一杯の抵抗として、背を向けることにした。

「……日向、お前……」

 ――べりっ。

 ある程度まで近づいてようやく生臭い臭いに気付いたのか、残りわずかというところで葉一は立ち止まり、戸惑った声を上げる。この鈍感男め。

「来ないで。血の臭い、移るよ?」
「……まさか」
「多分葉一の考えるまさかが正解。人、殺してきちゃった。しかもみっちー。ごめんね、恋人殺しちゃって」
「この、馬鹿っ!!」

 ――べりべりっ。

 言葉尻に含まれる怒気から殴られることを推測した私は、思わず身を縮みこませた。だけど、予想に反して身体のどこも殴られることはなく、代わりに背中側から、温かさに包みこまれる。これには私も驚いた。

「よう、いち……?」
「いい、何も言わなくていいんだ、だから、じっとしてろ」
「う、ん……」

 夢にまで見た葉一との抱擁が、こんなところで叶うなんて!
 あまりにも皮肉すぎる運命に、心の中で嘲笑を浮かべた。心地よさの代償は親友の死。笑えなすぎて笑える。

 どれくらいの時が経ったかわからない。けど、私にしてみれば一瞬としか言えない時間の後、葉一は身を話した。それと共に私の体温が奪われた気がして、私は葉一の方へと振り返り、わが身を抱きしめた。
 葉一は何も言わない。何も言ってくれない。言葉が見つからないんだろうか。それはそうだろう。実の双子の片割れが殺人事件を起こし、おまけに被害者が自分の恋人だったのだから。
 私は恐る恐る、その表情を伺った。

 何故か知らないけど、私と同じ、表情だった。愚か者の表情だった。

「行こう、警察に。ついていくから」
「……うん」

 ナイフを握ってない左手が、葉一の右手に包まれる。温かい。悲しい。

 歩き出して数歩。私はあることを頼もうと、立ち止まる。
 つられて立ち止まり振り替える葉一に、私はこんなお願いをした。

「ねえ、キス、していい?」

 返事の変わりに、葉一は少しだけ屈んで、私の唇に口付けをしてくれた。
 優しい味がした。それだけで、悲しくなれた。

 ――ぐしゃっ。

「血の味がする」
「……血、舐めてたから。みっちーの」
「……そうか」

 唇同士が離れた後、間の抜けた会話を交わして、私達は警察署に向かった。

「もう私、戻れないから」
「でも待ってる。俺も進むしかないから、お前を待ってるよ。いつまでも」
「……そう、なら、お願い」

 この会話と、心の中の想いをだけを抱えて、この先しばらく生きていようと決心した。

 途中に聞こえた、何かが剥がれ、壊れていく音は、壊れてしまった私の心の悲鳴なんだ、ということにした。



 ――*――



「これが、全てです」

 薄暗い取調室。
 数人の刑事たちに囲まれて、私は全てを話していた。
 話を聞き終えた刑事たちは、皆一様に首を傾げていた。私みたいな女の子が、こんなことをするのだろうかと疑っているようだった。だけど事実は事実。殺した本人が証言してるんだし。残念、今の女の子はおじさんたちが考えるよりも進んでるのよ。私だけだろうけど。
 刑事たちはなにやら言い合いながら、私を残して外へ出て行った。先ほど聞いた話だと、この後私は弁護士とも面会しなければならないらしい。やれやれ、こんなに忙しいと、壊れたココロを整理する暇もありやしない。もっとも、整理する必要もないけど。

 警察署に着てからというものの、私の精神状態は本人にも自覚できるくらいに落ち着いていた。みっちーをめった刺しにしていた私はどこへ行ったのやら。
 とはいっても、いい方向に向かってるわけではない。
 完全に壊れてしまったと自己分析できるくらいに、完膚なきまでに破壊されていた。
 残ったのは、昔から変わらない葉一を想う気持ちと、つい最近判明した、奥深くに眠る殺人衝動だけ。
 暇なので、私は自身のこの衝動について軽く考えてみることにした。わかっているのは、誰でも殺したくなる、というわけではないことだけ。刑事たちを見てもなんとも想わなかったのだから、きっとこれは正解。
 なら、何でみっちーは?
 わからない。不正解。
 何か糸口は、と紐解こうとしたとき、ドアが軽くノックされ、やたら温和そうで且つ胡散臭い笑顔を浮かべている男性が部屋に入ってきた。こいつが弁護士だろうか。どうやら、考えるのは後回しにしなければならないらしい。
 また言わなきゃならないのか、と心内で嘆息して、私は弁護士との面会に望んだ。


 無味乾燥な日々は、あっという間に過ぎ去っていった。
 適当に周囲に迎合して、更生されていくフリをして。作業なんだと割り切ってしまえば、何かしらの感情を抱くことなく遂行していけた。猫の脚を切る方がよっぽど大変だ。血まみれにならないだけでも大分違う。

 みっちーを殺しちゃった直後には、もう会うこともないと思っていた葉一とは、月に一回必ず会っていた。月に一回だけ許される面談。葉一はかかさず来てくれた。来てくれるだけで嬉しかったし、言葉を交わすのはもっと嬉しかった。
 何で来てくれるのかはわからない。世の中わからないことだらけ。でもわからないことに依存して、何も悪いことはない。私が人殺しで、おまけにその相手が自分の恋人だったというのに、毎回毎回やってきて、直接的にも間接的にも励ましてくれって、最後に必ず「待ってるから」と言うのを忘れなかったとしても、私にとって悪いことは何にもない。

 葉一の口から、色々なことを聞いた。
 学校での噂。私は凶悪な殺人鬼に仕立て上げられているらしい。どうだっていい。事実だし。
 週刊誌の報道。お約束どおりに少年法の改正云々が紙面を飾り、事件のことはおざなりだったらしい。どうだっていい。わかってもらえることなんかないし。
 両親の離婚。互いに、実の娘が犯罪者となった責任を押し付けあったらしい。どうだっていい。むしろ葉一に迷惑をかけるな。
 そんなことよりも、私にとってはどうして葉一が来てくれるのか、その一点の方がよっぽど気にかかった。わからなかった。だけど、悪いことじゃないので尋ねたりはしなかった。社会が、身内が、私のことをどう思おうとどう考えようと、知らない。

 わからないことだらけで、別にどうでもよくって、そのまま季節が何回か変わっていった。桜の花びらが舞い踊る時、入道雲が空高く聳え立つ時、紅葉の枯葉が北風に乗る時、粉雪が辺りを白く染める時、グルグルと、駆け足で私の周りを過ぎていって。

 また、雪の降る季節になった。
 私が人を殺した季節になったとき、私は少年院を出ることを許された。当然、保護観察処分は付くが、仮初の自由を得たわけだ。
 身元の引受人名義は父、しかし迎えに来たのは葉一。既に弁護人か誰かが話を通していたのか、あるいは荒廃した家庭事情を配慮してなのか、未成年者が引き受けに来たことに関して、誰も意義を唱えることはなかった。私も当然、何も言わなかった。
 出口で二人、頭を下げる。定型分のやり取りを交わして、私は外へ一歩、進んだ。
 左手は、葉一の右手に握り締められていた。嬉しかったし、温かかったので、何も言わない。

 小雪がちらつく中、葉一に引かれて進んでいく。
 行き先は葉一が住んでいるアパートらしかった。両親の離婚騒動に際して、葉一はどちら側にもついて行くことなく、自活する道を選んだ。高校は辞めたらしい。何回目かの面会時、私のせいで居づらくなったのかと聞いたら、そういうわけじゃないとの答えが返ってきた。高校生ではなくなったことで生まれた時間のほとんどは、生活するための労働時間に当てているらしい。朝から晩まで擦り切れるくらい働いて、月十万強。年齢から考えたら、破格かもしれない。

 歩いて、電車に乗って、乗り換えて、街並みが後ろに流れていって、前に住んでいた街から電車で一時間ほど離れた地に辿り着いた。都心部周辺にありがちな、適度に発展した駅前、ビル、雑踏。その中を、私はまた葉一に手を引かれて進んでいく。知らない土地でも、別に怖くはなかった。
 途中、スーパーで食材を数点と、ケーキ屋で真っ白なショートケーキを二つ買って、雑踏から徐々に徐々に離れていく。
 その途中、私は不意にあるモノに目を奪われた。

 ――あの時と同じ、ナイフ。
 商店街の外れにあった刃物屋のショーケースに、私を殺人鬼へ変えたナイフが二本、並べてあった。二本も並べてあることから何か特別の価値があるわけではないことが容易に推測できたけど、どうでも良かった。ただ、そのナイフに視線を注いでいた。

「ん、それ、欲しい?」

 立ち止まって見入っていた私に、葉一の声がかかる。私は小さく頷いた。すぐさま葉一は店の中へ入っていき、ナイフを二本購入して出てきた。

「なんか俺も同じのが欲しくなったから、つい二本買っちまった」

 照れくさそうに言う葉一は何だか可愛かった。ゾクリとした。

 住宅地の外れに、アパートはあった。二階建て計十二室。ありがちな外見ありがちな1Kアパート。それほど古くはない。葉一は迷わず、一階の、真ん中付近のドアノブに手をかけた。繋いでいた手が一旦離され、鍵を回し、カチャリとドアが開いて、葉一が先に玄関に入っていく。靴を脱いで、私の方へと向き直り、右手を差し出して。

「待ってたよ、日向。一年間、いや、ずっと」

 私はその手を掴んだ。戻れないまま、進んだ。
 何か致命的なものが隠されてると、気付いたまま、進んでしまった。
 それが、狂ってしまうまで待ち望んだものなのだとも、気付いたまま。



 二人暮し開始祝いという名の私の出所パーティは、私と葉一の二人だけで簡素に行われた。小さいけど二人で囲むには十分な広さの座卓には、二人で作った料理と、真っ白なショートケーキが二つ、それからスペイン産のスパークリングワインにグラスも二つ並んでいた。仮出所初日で飲酒とは、なかなかに模範的な出所者だなと心の中で嘲笑を浮かべる。
 グラスに琥珀色の液体が、音を立てながら注がれていく。気泡が弾ける音が耳に気持ちいい。
 グラスを傾け、乾杯。アルコールを摂取しながら、サーモンのマリネにシーザーサラダに箸を伸ばす。この際、箸とワインと座卓の組み合わせがおかしいとか、そんな贅沢は言わないし、望みもしない。
 好きな人と、一緒にいられる幸せ。相手がどう思っていたって構わない。心の奥深くで私を殺人鬼だと罵ってくれていても構わない。一緒にいて、料理して、ご飯を食べ、話すだけでこんなに幸せなんだから。戻れないところに幸せがあったなんて、誰も思わない。

 食べ終わって、ワインも一本綺麗に明けて、食器は流しで水につけた。
 先に私がシャワーを浴びた。代わりの服は上下ワンセット葉一が準備していた。葉一が用意した服、下着を身に着けるのは何だかむず痒かった。この寝間着が葉一の趣味なのかと邪推。白いショーツに白いネグリジェ。生地はシルク。無駄に高い。汚れている私に白は似合わないのに、と小さく苦笑。
 葉一がシャワーを浴びている間、私は買ってもらったナイフの一本を取り出していた。刃に人差し指を当てると、紅い線が生まれた。舐めると血の味。みっちーとは違う味。痛みで、今が夢じゃないと確認できた。そうでもしなきゃ全てが嘘みたいに思えてしかたなかった。
 葉一があがってくると、私はナイフをランプの灯りの下に置いた。淡いオレンジ色の光を受け、ナイフは柔らかい輝きを放っていた。
 葉一はテレビを消し、部屋の明かりもランプ以外は消した。手馴れた仕草だった。
 不思議だった。交際経験のない私でもわかる。葉一は、私を抱こうとしている。
 何故?
 わからない。壊れてる私には、世の中わからないことだらけ。
 だけど、別に構わない。何故なら……

「日向」
「葉一、んっ……」

 ――幼い頃から望んできた結末なんだから。

 あの日以来の口付け。かすかにアルコールの香と生クリームの甘さが残っていた。唇にも舌にも唾液にも微妙に残る甘さと酔わせる何か。互いに執拗に求め合った。相手の体液を咽喉の奥へと流し込む行為がコレほどまでにイイとは知らなかった。一人じゃいつまでたってもわからないことだった。
 自然と、服が脱がされる。初めて袖を通したばかりのネグリジェがたくし上げられていく。私以外触られたことのない胸に葉一の手が添えられる。温かい。それだけで感じてしまう。敏感な部分を弄られて、私は声を上げる。唇をふさがれる。息苦しさが心地よい。
 私の指じゃなくて、葉一の指が舌と共に私の身体の上を縦横無尽に駆け巡っていく。性感帯を刺激されるたびに私は身をよじり、嬌声を吐く。思考が溶けていく。構わない。今、私が考えなきゃいけないのは、どうやって自分と、葉一を満足させるか、ただそれだけ。頭の中にある数少ない知識を総動員して、葉一のモノを触っていく。気付けば互いが互いの股間を貪るような形になっても、気にしない。私の中に舌がねじ込められても、口の中で暴れるモノがあろうとも、知らない。夢にまで見た光景の、当事者になれたんだから。

 幸セ。

 一通りの前戯らしきコトを終えて、葉一は一旦身を離して何かを探し出した。本番はこれからというのに、既に快楽に溶けきっていた私は、薄目でその様子を眺めていた。しばらくして、何かを掴んだ様子。コンドーム? 別に避妊なんていらないのに。この先私はやることがないのだし。
 こちらに振り返る葉一。ライトの灯りが辛うじて届く範囲に、葉一の掴んだものが運ばれてくる。それは、

「もう、戻れない。こうなりたくはなかったけど、もう戻れない。だから宣言するよ。日向、愛してるよ。ようやく殺せる」

 ――私と一緒に買った、白銀のナイフだった。

 何故か、葉一は涙を浮かべていた。
 世の中わからないことだらけ。ただ、今になって思い知ったのは、私の愛している双子の片割れも、やっぱりとてつもない愚か者なんじゃないかということだった。


「聞きたいか、日向。何で俺がこんなことしてるのか」

 上気した身体の上に跨って、葉一はそんなことを言い出す。葉一のことをもっと知りたくなって、私はこくんと頷いた。

「俺はな、ずっとお前が好きだった。実の双子の片割れである、日向をな。もうそりゃ物心ついたころから」

 それは、知らなかった。
 話は続く。

「でも、そんなこと世間的に許されるわけないだろ? なんつったって、正真正銘血を分けた双子だし。今の日本じゃ近親相姦なんて許されない。まあ当然だろうと思うよ、客観的に見たら種の防衛機能が遺伝子の伝播の危機を感じ取ってるわけだし。これが、俺がお前のことを諦めた、いや、諦めようとした一個目の理由。そして、日向に想いを伝えられないことが、俺を蝕み歪めていったきっかけの一つ」

 ……私と、全く同じ。双子の思考回路は、やはり似るのだろうか。

「だから、俺は女好きな男という役を演じることにした。こうすればお前は俺を嫌うようになるし、適当な女を抱くことで一時的にも欲求を解放させることができた。でもまあ、結果的には失敗だったな。勘のいい奴らは、みんな俺の中に眠るモノに気付いて離れていってしまったし、お前は全然俺のことを嫌いにならなかった。逆に励ましてくれたりもした。お前が好きなのに言えなかった、いや言うことが許されなかった俺としては、その励ましだけで満足することにした。おかしな話だよ、フラレタ直後だってのに、実の双子の姉弟だか兄妹だかまあどっちでもいいけど、に慰められたら、それだけでオカズになったんだから。ああ、狂ってるね俺は、そう思うよ」

 本当に、まったく同じ。壊れてしまったはずの心が痛みだす。

「でも、ある日気付いてしまった。お前が……日向が、俺のことを好いてくれていることに。そして、俺との交際が長引きそうな女に対して嫌がらせをしていることも。知ったときが、元々歪んでた俺に破壊への一歩を踏み出させるきっかけとなった。なんてったって、気付いたとき俺はどうしたと思う? あまりの嬉しさに飛び跳ねてたんだぜ? 変な話だよ、誤魔化しのためとはいえ、自分の恋路を邪魔されて喜んでるんだから」

 気付かれてた。喜んだ。色んなワードが飛び交う中、ゆっくりと、思考がクリアになっていく。
 まだ、何か足りない。何か致命的な欠陥が、私達の中に潜んでいるる。

「抑え付けようとする気持ちと、もういいやと思う気持ちとがごっちゃになりだしたとき、初めて日向の親友らしき女と接触が取れた。そう、宮内里奈だっけ、彼女だよ。彼女はなかなか鋭くてね、日向が俺のことを好きなんだと教えてくれた。間違いないと念を押してくれた。そのせいで日向が暴走しだしている、とも。そりゃあ嬉しかったさ、相思相愛なんだと太鼓判を押されたようなもんだったからね。だけど俺は、何が何でも止めなきゃいけなかった。止めなきゃいけない理由が二つあった。自分の想いと、お前の想いを止める、ね。
 俺は彼女に全てをぶちまけた。俺が日向を心から愛してること、そしてそれは最悪の結末しか迎えないこと。そしたら彼女はこう言ったんだ。『考えがあるわ。とりあえず、私達が付き合いだしたことにして』と。藁にもすがる思いだった俺は、提案を呑んだ。頭を下げて頼んだ。必死だったんだ、自分の想いを食い止めることにさ」

 足りない。だけど、段々とわかってくる。何か、ずれている。葉一の手にしたナイフに、繋がらない。

「そこから先は、彼女の言うとおりに行動した。お前に付き合いだしたことを心が裂けそうになりながらも告げて、恋人同士に見えるように振舞った。夜は、お前の行動をずっと見張ってた。何かあったらすぐ連絡するようにと彼女から言われてたからね。
 であの日、お前が外に出て行ったとき、すぐに俺は彼女に報告した。彼女には家で待っていろと言われたけど、待てなかった。その時初めて、彼女の提案を蹴ったんだ。そこから先は、もうわかってる通り。彼女は、日向、お前に刺されて死んだ。この人生の中で後悔することがあるとしたら、長い間お前に打ち明けられなかったこと、そして彼女を俺たちの関係に巻き込んでしまったこと。彼女には、本当に申し訳ないことをした。その上、結局俺は待てずに一歩を踏み出してしまった。彼女の犠牲の上に作られたかもしれない未来を、壊してしまったんだ。
 お前を追った俺は、血まみれになったお前を見て、わかってしまったんだ。どうやっても、日向は俺を愛し続けるだろうし、俺も日向を愛し続けてしまうんだろうって。知ってしまった。
 その時、俺の心は壊れた。壊れたまま、今日まで来てしまった」

 ああ、あの時聞こえた、何かが剥がれ壊れていく音は、葉一の心が奏でていたんだ。
 大きなパズルピースがまた一つ、埋まる。だけどまだ足りない。足りないながら、完成図がおぼろげながらに見えてきた。
 初めて、私は恐怖した。この先、もう一歩進んだら、私達の関係は決定的に壊れ、今まで起きたこと全てがなくなってしまうんじゃないかと。だけど、もう戻ることは出来なかった。戻ることを失ってしまっていた。ひたすら進むしかない。
 だから、一歩、進む。葉一の話を聞いて、不思議に思ったことを埋め合わせるために。

「……なんで、私を愛することを恐れたの? 世間体の他にもう一つ、理由あるんでしょ」

 葉一の顔が醜く歪む。ああ、それは私と同じ表情なんだろう。
 ナイフを持たない左手を顔に当て、葉一は呻くように答えてくれた。

「問題が世間体だけだったらよかったんだ。それくらいなら、俺が盾になれば日向を守ることが出来ただろうし、周りに誰も知り合いが居ない地まで逃げて、二人でつつましく生活するコトだって出来たとおもう。生きることが苦しくても、きっと幸せでいられただろう。だけど、俺には出来なかったんだ。

 ……心から愛しているモノを、この手で壊したいという愚かな欲求が、常に俺の中で渦巻いていたんだから」



 ――ああ、全てが繋がった。



「日向のことを心から愛していた。これは間違いないし今でも変わらない。だけど……ある時から俺は、同時にお前をメチャクチャに壊したいとも思い始めていたんだ。白い肌に刃をつき立てて、鮮血に染まりながらもお前を犯すシーンを想像してヌイてたんだ。イカレてるだろ? 笑ってくれてもいい。俺だって笑いたい。だけど、コレが俺なんだ。葛城葉一自身なんだ。だから、お前を愛するわけにはいかなかった。どう足掻いてでも止めなきゃいけなかったんだ……
 それが、あの日を境に変わってしまった。俺は壊れたんだ。こんなに俺のことを愛してくれてる日向がいるのに、俺が愛さないわけにはいかないって。壊さないわけにはいかないって。だから、ずっと待ってた。学校とか両親とかどうでも良かった。ただ、この日の為だけに、こんなにも愛おしい日向を、この手でコロスためだけに、今まで生きてきたんだ」

 ああ、この人は何て愚か者なのだろう!
 脳裏に何時ぞやの動物虐殺のニュースが浮かぶ。間違いない、あれは葉一の仕業なんだ。私を殺さないために、動物で発散させていたんだ。愚かだ、本当に愚か者。
 それに輪をかけて、私は何て愚か者なのだろう!
 考えうる限り、私にとって、葉一にとって、そしてみっちーにとって、最悪の選択をしてしまったんだ。

 ――なら、何故最悪な状況下で、私は、シアワセに包まれているんだろう?

 不意に、私の置いたナイフが視界に入ってきた。手を伸ばしてそれを掴むと、頭の中で何かのスイッチが入る。

「ねえ、葉一」

 私は、私に跨って、今にも刃を付きたてようとしている葉一を見た。
 私自身がダブって見えた。みっちーを嬲った私の姿が重なった。

 私達は、双子。似通ってるのは、思考回路だけじゃないらしい。

「今気付いたの。私、まるっきりあんたと同じだわ。双子だもんね、うん。
 葉一、私もね……愛してるわ、殺したいわ」

 私の言葉を聞いた途端、葉一は腹を捩って笑い出した。つられて私もナイフを握り締めながら、腹の底から笑う。こんなに笑ったのは、いつ以来だろうか。記憶にない。

「あーっ、くくくっ……なんだ、そうか、そういやそうだ、俺たち双子だもんな、何から何まで同じだったんだ、ははは……」
「どうして気付けなかったのかしらね、馬鹿よ、私達は」
「ああ、本当に愚か者だ」
「そう、愚か者」

 口付けを交わす。惜しむように、舌と舌を絡めあい、唾液を交換する。飲み込むと、身体の芯が熱くなった。
 ナイフを持つ手に更に力が篭る。
 葉一の目を見る。頷く。お互い、何をしたいのか完璧に把握しあっていた。さすがは、双子で相思相愛。アイコンタクトもばっちり。

「いくよ、日向」
「来て、葉一」

 葉一は私から降り、膝を抱え、腰を当て、ゆっくりとその肉棒を私の中に沈めていった。
 何かが裂け、つかの間の激痛を味わう。どうでもいい。
 未だに私の中は潤っていて、葉一が動くのに不自由はしなかった。体液と血液が混じりあい、グリスとなる。私が処女だったとかそんなこと、どうでもいい。
 蕩けそうな快感。痛み。激痛。大好きな人と一つになれた一体感。互いの口から嬌声がもれ出る。どうでもいい。
 蠢く異物。何かが上り詰めてくる気配。

「ひな、たっ!」
「よういちっ!」

 上り詰める直前、私達はどちらからともなく、再度口付けを交わした。そして、

『愛してるから、コロスよ』

 互いに手にした白銀の刃で、目の前にいる最愛の腹部を、貫いた。

 脊髄を駆け上る激痛と焦点の快感。私は大きく身体を逸らし、葉一から放出される白い液体を、ナカで受け止める。セイに繋がる行為を、セイの途切れる間際でやるこの矛盾。ああ笑える。声を出して笑いたいけど、腹を抱えて笑えるほどの力は既に残っていなかった。
 最後の一滴まで搾り出された後、葉一は私の横に倒れこんだ。ちょうど顔を向かい合わせる状態。すっかり血の気が引いた葉一の顔が、靄のかかりだした視界に入る。満足げだった。なら私も満足げな表情を浮かべているに違いない。

「ずっと好きだったわ、葉一」
「ずっと好きだった、日向」

 躯に最後の鞭をいれ、最後の口付けを交わす。
 互いの血の味がした。サイコーだった。

 急速に掠れていく意識の中、最後に残ったのは、たった四文字。



 ――シアワセ。



 ――Even if we would be called stupid, we have been certainly happy.

 ――Fin.


 彼女はもう一度、何かを確かめるように

「ここにいるのは、愚かな人たちだけですね」

 と呟いた。私は頷き返し、同意だと伝えた。

「満足いただけましたか」

 逆に私が聞き返すと、彼女は首を捻って思案した。

「うーん、ダメ、ですね」

 私は大げさに首を振り、残念だとのジェスチャーをアメリカ人ばりに示す。彼女は少しだけ笑ってくれた。

「きっと、私達の方が軽いから、なんだと思います。この作品の二人ほど重くないし、愚かでもない。だから、ダメだと思ってしまうんです。だけど貴方にとっては、私にダメだと思わせることが目的だったのではないですか?」
「さあ、どうでしょう」

 再度派手に肩を竦める。別にわざわざ言うことでもないと思ったからだ。しかし彼女は私の意に反して、いや、ある意味意に沿って肯定と受け取ったのだろう、

「……ありがとうございます。踏みとどまれそうです」

 と言った。照れ隠しもかねて、三度目のジェスチャーをした。

 その後、どうでもいい会話をいくつか交わした後、また何かあったらと社交辞令的挨拶をしてから、彼女は一人、喫茶店の外へ出て行った。少し前とは違い、憑き物が落ちたような後ろ姿を見送り、再度満足感を覚える。作者冥利につきるというやつだろう。
 きっとこの先、彼女、そして彼女の愛する人は、間違ったシアワセを選ばない。愚か者にはならない。それが、一番の幸せなんだと、ギリギリのところで気付いたはずだから。

 カップの底に残った、すっかり冷えたコーヒーを飲み干し、私は店を出た。
 時計を見やる。予定より少し遅い時間になってしまった。仕方なく、早足で向かう。
 見上げた空はいつもの東京の冬空。それでいい。

 地下鉄、私鉄と乗り継ぎ、自宅の最寄駅で下車。なんとなく帰り道に真っ白なショートケーキを二つ買った。きっと、これは罪滅ぼしの為の品だろうと自己解釈。

 ――そう、私も愚か者なのだ。別にたいしたことではないけど、相応の償いをしなきゃならない。

 マンションまで辿りつき、エレベーターに乗り込む。家のある階について、踊り場、廊下と進んでいく。911/葛城とかかれたプレートの前に立ち、一つ深呼吸。鍵穴に鍵差込み、カチャンと鍵が外れた音を聞いてからドアノブを回し、我が家に帰宅。

「おかえりなさい、葉一」
「ただいま、日向。土産にケーキ買ってきたよ」

 ――双子だとか猟奇的志向だとか、その手のしがらみも制約もないただの幸せな私達夫婦を、この物語のモデルに使ってしまったのだから。実に似つかわしくないのに。どうだい、愚かだろう?


 2006.1 都内某所にて 葛城葉一
(作者の後書きより)



 End.