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kanon/春風

「雪……ようやくなくなったな」
「そうね……」

 ようやく訪れ始めたこの町の遅い春。あれだけとけずに残っていた雪もすでに消え失せ、アスファルトはアスファルトの色だけを見せる。
 道端の空き地にも新芽が現われ、時には気の早い、名も知らぬ花が、小さく、しかし一生懸命存在をアピールしている。それは、冬を乗り越えたモノの生への権利。

「小さな花って」

 横を歩く香里が、俺にこんな出だしの言葉を投げ掛けてくる。視線の先には俺が見ていた小さな花。

「何か、生きてるって感じよね」
「奇遇だな、同じこと思ってた」
「あら、気が合うわね」

 香里は足を止めて空を見上げる。俺もそれにならう。
 空は、原色をそのまま塗りたくったように青かった。

「こんな青空を見るために生き抜いてるのよ、きっと」
「だな」

 そして再び歩き始める。横に並ぶ香里は制服姿だった。そして、俺もまた同じく。

「にしても驚きだな、香里が授業サボるなんて」
「そういうことも、たまにはあるわよ。別に堅苦しい優等生ってわけでもないし」
「俺を巻き込んでまで、か?そのたまには、は?」
「いいじゃない、かわいい彼女と一緒にいれるんだから」

 やれやれ、と手をあげ、もう一度香里に目をやる。
 胸元に抱えた小さな花束が香里の印象をより可憐なものにしていた。

 


 辺りに、線香の匂いが立ちこめる。束の先端から立ち上る白煙は、緩い風に流されながら青の世界に溶け込んでいく。
 春空は、均等にこの町を覆っている。

 花束は丁寧に供えられた。眠りゆく地に咲く、ささやかな華。

 栞に似合う、花束だった。

 俺と香里、二人は静かに手を合わせる。

 二人揃っての墓参りはこれで2回目だった。
 1度目はまだ冬のあける前、小雪のちらつく中でだった。あの時は栞の死後、まだ1週間程しかたっておらず、無言で小刻みに震える香里の身体をこの腕で抱き締めたことは記憶に新しい。
 それから、2週間。
 たった2週間で、景色はこうも変わる。

 あの時は墓石の上に雪が積もっていたが、今はもうない。
 そして、雪に埋もれていたはずの地面には、小さな花々が儚く咲き誇っている。
 そして、墓前の供えられた華。

 この地は、栞のためにこんなにも綺麗なのか。

「あの子は」

 頭を垂れて黙祷を捧げていた香里が、凛としながらもどこか寂しい視線を前へと向けて、こう切り出す。

「あの子は、幸せだったの?」

 前へと向けられていた顔が、少しずつ俺のほうを向く。
 不安の入り混じる表情。
 ああ、こんな優等生でも、わからないものはわからないんだ。

「そりゃあさ、一時はめちゃくちゃ不幸だったろうよ。何せ、姉に見捨てられていたんだからな」

 事実であったことをそのまま告げる。
 香里は無言。一回大きな震えを見せる。
 それは、一番言われたくなかったことだからだろう。

 でも、自分の過去から目を背けて、何も生まれるものはない。
 俺は、知っている。
 何も、生まれない。

「事実から目をそらすな。そらした自分が何をしたのか、覚えてるだろ?」

 びくんっ、とより大きな震えが香里を襲う。
 そして、瞳には涙。

 覚えてるなら、それでいい。

「そして、その後元通り姉として栞に接することが出来たときの、栞の笑顔も覚えてるだろ?」
「……」
「あんな笑顔さ、幸せでなきゃ自然と出せないもんだろ。な、栞」

 香里から、墓石へ。
 香里から、栞へ。
 視線を移す。

 風が、一吹き。それが返事なんだろうなと思った。

 ふう、と一つ溜息をつき「困った姉だったな」とどこかに小さく小さく呟き、それから泣きじゃくりだした香里の身体を、そっと抱きしめた。
 2週間前とは、違う感触、そして温かさだった。


「たまにかなわないと思うことがあるのよね」
「はあ?誰にだよ」

 帰り道。相変わらず空は青い。
 しかし、香里の目は心なし赤い。

「相沢君よ」
「俺か?」

 はあ、と一つ溜息をつき、香里の肩を抱き寄せる。
 心なしか、彼女の頬も赤くなった気がした。

「そりゃ、一つくらい勝てるものがないと、色々面子とかが立たないだろ」
「そうね、大体そうでなければ一緒にいてもつまらないわよ」
「一緒にいて、ね……」

 変わったもんだな、と隠れて空を見上げた。

「不束な妹ですがよろしく」
「こんな可愛くない妹はいらないわよ」
「ちっ……」

 もう、乗り越えていけるだろう、香里は。そして、同じことも繰り返さない。

「……ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。このくらいでよければ」

 風が、吹いた。
 それは、俺達を優しく包む、春の風だった。