>TOP >ss >detail

一次/数え歌

 西のほうのとある小さな街の片隅に、一人の男の子と女の子が住んでいました。二人に血のつながりはありませんが、小さい頃からの仲であり、加えて全く同じ境遇に身をおいているということもあり、身を寄せ合い、助け合って生きてきました。
 二人とも、今家族と呼べるものはいません。

 みんなみんな、ピカドンにやられました。

 今の街に疎開していた男の子と女の子に直接の害はありませんでしたが、あの街で働いていた男の子の父親も女の子の母親も、兵隊さんだった女の子の父親もお兄さんも、たまたまあの日に限って街へと戻っていた男の子の母親も、一瞬でいなくなりました。

 二人とも、覚えています。蝉の鳴き声の中、街のほうに見えた、破壊しか生み出さなかった閃光、まがまがしい雲、そしてその後自分たちの街にも降った雨。



 あれから、5年。

 5年という歳月は、記憶に刻み込まれた傷跡を風化させるにはあまりにも短い時間でしたが、あの日を境に変わってしまった世界で新たなる生活を二人で築き上げるには、ちょうどいい期間でした。
 二人で協力して野菜を育て、何割かは市場に出して収入を得、残りは自分達で消費する。
 周りが特需だ特需だと浮かれ、急速にインフレーションが進むこの国の中で、二人はつつましやかに、しかし小さな幸せをかみしめて生きていました。

 その幸せは、戦争という最悪の人災の禍根を少しづつでしたが埋めてくれるものでした。

 でも。

 共に家族をなくした男の子と女の子の築き上げた生活は、長くは続きませんでした。
 もちろん、二人が互いを嫌いあったというわけではありません。小さい頃からの仲であり、そして生活を共にしている仲。二人の間には、紛れもない愛が生まれていました。

 その愛も、取り戻した平穏も、潜んでいた戦争の傷跡に、塗りつぶされました。



 ある日、女の子が倒れました。
 医者の診断結果は、白血病。
 そう、原爆のあとに降り注いだ、放射性物質をたっぷりと含んだ黒い雨により、女の子は放射能汚染されていたのでした。
 放射能汚染に特徴的なや火傷の症状が出なかったので、汚染されていないものだと思っていた二人には、あまりにもむごい現実でした。

 倒れた日から、日に日に女の子は弱っていきました。
 男の子の必死の看病もむなしく、やがて女の子は布団から出ることもままならない状態になりました。
 何も食べることができず、痩せ細ってゆく身体。そして。

 女の子が眠りつづける日が多くなりました。昏睡状態です。

 おい、おい!!

 男の子は必死に呼びかけます。彼にとっては、唯一残された家族です。しかし、女の子は目を覚ましません。

 おい、おいっ!!!

 呼びかけに全く反応を見せない、そんな意識状態がしばらく続き。

 みーんみーんみーん……

 遠くに蝉の声が聞こえる、そんなある日。

 ん……

 久方ぶりに、女の子に意識が戻りました。男の子は確信します。これが、最後だと。

 一言二言、たわいない会話を交わし、そして。
 女の子のまぶたが、ゆっくりと閉じられていきます。

 お、おい!!

 男の子の大声に答えるかのように、閉じかけていたまぶたが元に戻ります。しかし、長く開いていそうにはありませんした。
 そこで男の子はある提案をします。

 そうだ、数を数えよう。俺が一つづつ数を数えていくから、後に続いてくれ。

 男の子の提案に、目がうつろながらも女の子は小さくうなずきます。

 いーち。

 いーち。

 にーい。

 にーい。

 さーん。

 さーん…

 最初のうちは、女の子は小さい声ながらもちゃんと続けていました。しかし。

 しーち。

 しー…ち…

 はーち。

 はー…ち…

 きゅーう。

 きゅー……

 徐々に、反応が鈍くなっていきます。

 じゅーいち。

 じゅー……い……

 じゅーに。

 じゅー……に……

 じゅーさん。

 ……さ……

 ほら、じゅーさんは?

 ……

 ほら、じゅーさんだよじゅーさん。

 ……

 ほら、ほらって!!

 ……

 女の子がもうしゃべることはありませんでした。
 最後の表情は、非常に安らかでした。

 その顔を見て、少しでも彼女に幸せを与えることができたんだなと思い、一瞬少年は嬉しく思いました。
 でも、それもほんのつかの間。
、残された唯一の家族をなくしてしまったという現実と最愛の人を失ってしまったという喪失感が入り混じって男の子を襲い、男の子は大声を上げて涙しました。

 奇しくも、広島という街が書くの炎に包まれ、家族をなくし、そして女の子が放射能に汚染された8月6日のことでした。



 女の子を失った男の子は、途方もない無気力感にさいなまれました。
 愛すべき人を失い、胸の中に広がる空洞は、男の子の精気を急速に奪っていきました。
 それでも、はじめのうちはある程度、畑仕事をしたりと動くことができました。
 半年以上たって、男の子は、見る見るうちに痩せ細ります。
 それを見かねた近所の方の勧めで、男の子は医者に行くことになりました。
 そして、そこで出た結論は。

 白血病。

 女の子と同じ時、まったく同じ黒い雨を浴びた男の子もまた、放射能によって身体の内部が破壊されていたのでした。
 
 結局、あの爆弾は、何もかもを少年から奪おうとしていたのでした。家族も、愛しき人も、自分の命をも。

 みーんみーんみーん……

 また、蝉が鳴く時分になり。
 男の子は、完全に床に伏していました。気付けば時間が飛んでいた、ということが何度もあり、自分自身で、残りが短いということを感じ取っています。

 みーんみーんみーん……

 遠くなる意識の中、蝉の鳴き声を聞いて男の子はあることを思い出します。

 いーち……

 にーい……

 さーん……


 一年前、女の子と一緒に数えた数を、男の子は今一人で数えていました。

 ろーく……

 しーち……

 はー……ち……

 徐々にその感覚が長くなっていきます。だけど少年は、何かにすがるように、ゆっくりと数え続けました。

 じゅー……う……

 じゅー……い…ち……

 じゅー……に……

 じゅー……

 ……

 ……

 少しの沈黙。そして。

 もう、疲れた……

 ……

 ……

 その言葉を最後に、少年も息を引き取りました。
 実に奇妙なことに、8月6日、広島に原爆が投下され、家族をなくし、その後女の子をも失った日に、女の子が数えられなかった13を、やはり数えることができずに。