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CLANNAD/二人旅

 それは約束、だった。
 あの日、俺ら親子三人で初めて祖母に会ったとき、彼女から頼まれたことだったのだ。

「あの子は頑張りすぎました。そろそろ休んでも、いい頃でしょう……だから、朋也さん、あの子に伝えてください。もう、戻ってこいと。そしてあなたが、あの子を連れてきてください。今の私には、あの子と過ごすことが小さな希望なのですから……」

 渚、汐の見守る中、俺は「わかりました」とだけ答えた。

 古河家に帰宅して、5人で盛大な晩餐を楽しんだ。
 酒が入り、オッサンはやたらと渚に酒を進め、それを止めるのが大変だったりした。
 でもそれは、家族と家族が強く結びついた、楽しい光景だった。

 夜。俺は早苗さんに、しばらく二人のことを頼みます、とだけ言った。
 それだけで早苗さんは全てを察してくれたようだった。
 深々とお辞儀をした。

 朝。数日分の衣服などを詰め込んだバックを持ち、そのときを待つ。

「じゃあ、行って来るよ」
「いってらっしゃい」

 渚と汐に見送られつつ、古河家から一歩を踏み出す。



 7年の月日が流れていた。
 それは、長い、長い月日だった。
 俺が、家出をしていた期間なのだ。
 そして、今日。
 俺は帰宅した。

 何も変わってない家。風景。
 ドアを開ける。鍵はかかっていない。

「ただいま」

 小さく呟く。
 返事はない。
 靴を脱ぎ、廊下を進む。

 親父はテレビを見ていた。俺の気配に気づき、振り返る。

「ああ、朋也くん……」

 しゃがれた声、老けた顔。親父は、こんな人間だっただろうか?

「ただいま」
「おかえり」

 懐かしい、会話だった。これだけは、変わってない。

「ずっと、家に?」
「うん……」
「そうか……」

 開け放たれた窓から風が吹きぬける。それは、俺の心を小さく押してくれるものだった。

「この夏、3人で旅行に行ってきたんだ」
「ほう……」
「ずっと、ずっと北の地。そこで、ある女性と会ってきた」
「へえ……」
「そこで、約束、してきたんだ」
「ふむ……」

 会話として成り立っているかの境界線を行く。それでも、俺は続ける。

「親父」
「ふむ……」
「もう、疲れたろ。そろそろ休んでも、いい頃だろ……」
「……」
「その女性にさ、こう伝えてくれといわれたんだ。『戻ってこい』と。あんたが小さかった俺の手を引いて旅立った、あの場所に」
「……ああ……」

 親父は、どこか遠いところを眺めていた。
 かつて、自分が旅立った光景を、小さな手の感触とともに思い出しているのだろうか。

「な、もう、休んでもいいんだよ……だから、行こう。一緒に。俺が連れてってやる。かつて、あんたが俺を引いて辿った道を逆行して、俺が連れて行く」
「ああ……」

 それは、小さな間だった。

「……もう、おれはやり終えたのだろうか……」

 それが何を意味しているのか、すぐに分かった。
 この人は、かつて、町を飛び出して、俺を育てることを誓った。
 海風の吹き抜けるあの場所で。
 それ以来、ひたすら頑張り続けたんだ。
 俺を、こんな俺を育てるために。
 それだけが、この人の人生になってしまった。
 俺を、こんな俺を育てるために。
 出来の悪い一人息子を育てるためだけに。

 最高の、父親だった。

「あんたは、もう犠牲になりすぎたんだ。こんな、駄目な息子のために。もう、十分だよ……」

「そうか」

 小さな返答が返ってきた。

「もう、やり終えていたのか……それは、よかった」

 今まで老けて見えた親父の顔が、一瞬若さを取り戻したように見えた。

 その夜、俺は親父と一緒に過ごした。
 風呂に入り、飯を食う。
 父と子。当たり前の光景なのに、凄く遠かった光景。
 今更、取り戻すことが出来た。

 今、俺たちは親子だった。
 ここにきて初めて、もう一度親子になれたのだ。



 翌朝。
 親父の身支度が終わるのを待って、家を出た。
 住み慣れた家。親父は一度振り返り、そして前を向く。

 そこには、二人の姿があった。

「おお……」
「お久しぶりです」
「……」

 渚と、汐だった。

「その子は……そうか、君たちの……」
「ええ、お義父さんの孫の汐です。ほらしおちゃん、挨拶は?」

 渚に促されて、汐はぺこりと頭を下げる。
 親父と汐は、汐が生まれてすぐに一回あったきりであった。
 久しぶりの孫との再会に、親父は顔を綻ばせる。

「そうか……大きくなったね……」

 手を汐の頭に載せ、柔らかい笑顔を向ける。
 それは、かつて、距離が開く前に俺にも見せてくれたものだった。

 笑顔が、確かに昔、俺と親父が一緒に生活していた証だった。

 一頻り撫で終わったところで、親父は立ち上がる。

「じゃあ、行こうか」
「ああ。渚、しばらく汐を頼む」
「わかってます。では……」

 いってらっしゃい。

 俺が昨日古河家を出たときと同じ声を、渚と汐は親父にかけていた。

「いってきます」

 親父も、俺と同じように答えていた。

 それが、親父とこの町の、別れだった。



 カタッコトッ。
 カタッコトッ。

 小気味よい音を立てて、古びた特急車両が北への道を進む。
 俺と親父は、駅から無言だった。
 でもそれは、親子の間柄にはない沈黙、ではない。
 やがてくる別れ。
 それを惜しむがゆえに、何もしゃべれない。
 そんな感じだった。

 でも、それでは駄目だった。
 俺は、まだこの人に何も返せていない。

「これは、俺ら二人の旅行なんだ」

 気付けば、俺はこんな言葉を発していた。

「ただ行くだけのものじゃない。旅行なんだ。だから……次で降りよう」

 何か考えがあるわけではない。
 ただ、今は少しでもこの人といたかった。

「ああ……」

 やがて電車は久方ぶりの停車駅にたどり着く。
 そこは、特に何かあるわけでもない地方の一ターミナルだった。
 それでもかまわず、俺たちは降りる。

「動物園に行こう」

 駅前の案内板を見て、その名前を見つけて、無性に行きたくなる。

「ああ……」

 それから俺たちは、埋めようのないはずの時間を埋めることに、全てを費やした。

 川がある、といっては駅を降りて釣りをした。
 少し大きなデパートがある、といっては駅を降りて買い物をした。

 ただひたすらに、時を過ごした。

 大きな男達が、親子の絆を必死で取り戻す姿だった。

 だけど。

 時間は戻らず、過ぎていくものだった。

「次は~終点~終点の……」

 電車の速度が鈍くなる。そして、古びたホーム、少し前にやってきたホームに滑り込んでいく。

 終着駅だった。
 そして、この旅の目的地でもあった。

 降り立った地は、当たり前だが渚や汐と来たときと、なんら変わっていなかった。
 時間の流れは、この土地には回ってきていない。そんな錯覚を覚えるほどだ。

 それでも、あの時と今とでは状況が違う。
 横にいるのは親父であり、俺たち二人だけだった。

 俺は、何もいえなかった。

 つかの間の親子の関係も、まもなく、終わる。
 ようやく、取り戻せたのに、今更気付いたのに。

「……」

 何処となく縮こまっていた俺の頭に、暖かなものが乗る。
 親父の、手の平だった。

「行こう」

 親父に促されて、俺は歩き出した。

 約束を果たすため。
 そして。

 親父をこの手で送り出すために。



 花畑は、3人を受け入れてくれたときと変わらず、個々の命が可憐に咲き誇っていた。
 黄色の絨毯が一面に広がり、途切れるところが見えない。

 きっとこの景色は、いつだって人を迎えてくれる。そして、送り出してくれる。
 あの日、親父は俺を連れてこの光景に送り出された。
 今日、俺は親父を連れてこの光景に迎えられる。
 そして、同時に親父を送り出す日でもあるんだ。

 向こう側から、潮の匂いが風に運ばれてくる。
 さわさわ。さわさわ。
 頬を風がないでいく。

 さわさわ。さわさわ。

 海が、見えてきた。
 潮騒に合わせて海鳥が踊る。

「お待ちしておりました」

 そこに、女性がいた。
 祖母だった。

「約束どおり、俺が連れてきました」

 一礼して、そう切り出す。

「ありがとうございます」

 向こうも一礼。
 礼をしあう二名。残される親父。

「約束、したんだ」

 親父に向き直って俺は告げる。

「お祖母さんから、頼まれたんだ。親父、あんたを連れてくるように」
「そうか……」

 親父が一歩前へ出る。

「直幸」
「母さん……」

 ああ、役目は終わったんだ。
 俺も、親父も。

 そして、これからは互いに新たな役目があるんだ。
 それぞれの、家族の為に。

 短い、俺たちの家族は、ここで、終わり。

「親父……」

 時間がきた。
 俺は、親父に声をかける。

「元気で、な」
「ああ……」
「身体……壊すなよ?」
「ああ……」
「今度、渚と汐と、三人で来るからさ」
「ああ……」

 風が、二人の間をゆっくりと吹き抜けていく。
「じゃあな」

 俺は、背を向けた。

「朋也っ」

 振り返った。

「……駄目な親父で悪かった」

 涙が出た。
 駄目な、親父……?

「違うっ!あんたは、どれだけ俺に尽くしてくれた?どれだけ気にかけてくれた?違うだろ、あんたは……最高の親父だよっ!それに気付かなかった……気付けなかった俺の方が、駄目な息子だったんだよ!」

 声を目一杯に張り上げる。
 ああ、これが、本当に言いたかったことなんだ。

「だから……だからあんたは謝らなくていい!謝らなきゃいけないのは俺の方だっ!!」
「朋也……」
「だから、頼むから謝らないでくれ……」

 刹那、身体が温かいものに包まれていた。
 親父が、俺の身体を抱きしめていた。
 瞳に、涙を浮かべて。

「……ああ……わかった……」

 そしてもう一度、しばしの別れを告げて、俺はようやく歩き出した。
 振り返ると、祖母が親父に寄り添う姿が見えた。きっと二人は、これから先この町で、静かに生きることになる。
 俺は、あの町で渚と汐と生きる。

 もう、生活は交わることはない。

 だけど、別に死に別れたわけでもない。時間さえあれば、親父に会いにこれるんだ。

 今度来るときは、精一杯親孝行をしよう。
 そして、渚や汐には、夫、あるいは父親として立派に振舞えるようにしよう。

 親父のように。



 花畑が広がり、海の臨めるこの町が、俺と親父の親子二人の旅の終点。
 親父は、戻り、俺も、戻る。
 別々の道へ。
 曲がりくねった旅路は、もう共有することはない。

 だけど、辿ってきた旅路は、共有できる。
 その道を戻りつつ、小さく呟いた。


 ありがとう、親父、と。