>TOP >ss >detail

この青空に約束を-/Beautifull Dreamer

 ――いつだって願い続けていたこと。あの時から見続けていた、夢。夢は崩れることなく、今も確かに、そこにある。



 南栄生島の夏は長い。周りを海に囲まれているために、都心部のような過ごし難い暑さになることはないが、それでも日差しは肌を焼き、吹く風は海風独特のべたつきをもたらしてくれる。当の昔に慣れているはずなのに、不快感を拭うことは出来ない。うちわも扇風機も、わずかに涼しさをもたらしてくれる以外には役に立たない。
 なら暑さをどうごまかすかといえば、部屋の片隅でじっとしているに限るのだ。窓やドアを開けて風が流れるようにし、日差しが入ってこない壁側で体育座りをしながら、時折うちわをはためかせて暑さを凌いでいた。地球温暖化の影響はここにも来ているのだろう。ちょっとずつ、暑さが乱暴になってきた気もする。そのうち島も水没しやしないだろうか。

「……あちぃ」

 ……とまあいくら環境問題を嘆いてみても、今現在の暑さは変わらない。だんだんと座っていることすら鬱陶しくなって、床にそのまま横になってみる。はじめのうちはひんやりとした感覚を伝えてくれていたが、次第にあったまっていき、生温い不快感しか与えてくれなくなってくる。
 何をしていようが、夏の午後。暑い。

「海までいってくっかなー」

 ふと思いついて口から出ていた案は、なかなかに魅力的だった。だがすぐに思いとどまる。

「って、この中石段降りてくのもきついからなあ。やめやめ」

 我ながら諦めるの早いなーとは思うが、遊ぶ気力すら失うくらいに暑いのだ。いっそのこと寝てしまうかと、海水浴よりも動かずに住む魅力的な案を思いついたところで、寮の廊下が軋む音が聞こえてくる。その音が航の部屋の前で静止すると、変わりに扉をノックする音。

「航―、いるー?」
「いるぞー」

 ドアを開けて入ってきたのは海己だった。いつものようにジャージ姿で、手には袋を掲げている。

「あのね、航にちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだけど……」
「収穫か?」
「うん、トマトとキュウリ。今晩のサラダに使おうと思って」

 前までは余程のことがない限り人に頼み事をすることなんてなかった海己だが、最近は少しずつだが人を頼ることも多くなってきた。凛奈の件が、いい意味で影響を与えているのかもしれない。

「オッケー。行くか」

 もちろん暑いから断るなんてことはしない。先ほどまで暑い暑いと唸っていた怨念をどこかへ捨てて、立ち上がる。

「ほら、袋持つよ」
「ご、ごめんね航」

 ……残念ながら、謝り癖までは直っていない。こればっかりはまだ厳しい。謝らなくていいといったら、その言葉に対してまで「ごめんね」が戻ってくる。だから代わりに頭を軽く二回叩くだけにしておく。海己はその行為の意味がわからなかったようで、きょとんとした顔を向けてくる。

「気にするな、ほら行くぞ」
「ま、待ってよ航!」

 相変わらずのドンくささを発揮している幼馴染を尻目に、外へと飛び出していった。



―――



「……帽子なりなんなり持ってくりゃ良かった……」

 トマトを手にしながら、恨めしく青空を見上げてみる。こっちの気持ちにこたえてくれたかのように、三倍返しの日差しを浴びせてくれた。

「ご、ごめんね航」
「あー大丈夫、海己のせいじゃないから」
「でも、お願いしたのはわたしだし……」
「お願いされたのは俺だから気にするなって」

 トマトの木(木といっていいのか?)の向こう側から例の声が漏れてくる。太陽さんにまで気を使えるのはこいつくらいじゃなかろうか。俺には無理だ。
 気にしないそぶりを見せるために、黙々と熟れたトマトを袋に詰めていく。真っ赤に熟れあがったトマトは実に旨そうである。手入れしている人間の成果の賜物だろう。木々の間にしゃがんで、とびっきり赤いのを一個、タオルでぬぐってから丸かじりしてみると、甘さとすっぱさが入り混じった、まさしくトマトというべき味が口の中を駆け巡る。いつ食べてもおいしい、羽山さん家の完熟トマト。

「航ー、採ったー?」

 食べてるのが見つかってると怒られることもあるので、慌てて飲み込んでから採ったぞーと応答。つまみ食いしてたことに気付かれていないようで、「もうちょっとでこっちも終わるから」との返答が戻ってくる。ほっと一息ついて、食べたトマトのヘタを地面に還元させておく。これで次回の肥料になってくれることだろう。

「……航、つまみ食い、したでしょ」

 さて戻りますかと立ち上がったところで、同じく収穫完了した海己から厳しいツッコミ。

「さて、なんのことやら……」
「口の近くに、トマトを食べたあとが残ってるよ」

 ……バレバレだったらしい。怒ってる顔をしてないので、そのまま笑って口の辺りを拭おうとしたら、その前にトマトごしににゅっと腕が伸びてきて、指先が人の顔をなでていく。汚れをふき取った後に己の口元へと戻っていく。

「うん、今日のトマトもおいしいね」

 ……昔っからだけど、こいつが時折悪魔の手先かなんかじゃなかろうかと思ってしまう仕草をしてくる。

「航、どうしたの?」
「……んや、なんでもない」

 不意打ちをどうにか自分自身にもごまかして、気を静める。もう何年もやってることだから慣れているはずなのに、暑さと一緒でどうにも慣れ切ることは出来ない。いつだって、心の琴線を揺さぶってくれるのだ。

「ほら、暑いからさっさと戻ろうぜ」

 適当にかぶりを振って、寮へと戻る道を歩き始めると、後ろから慌ててついてこようとする海己の足音が聞こえてくる。いつもどおりの光景に戻ったことに安堵しながらも、浮かび上がってきたやるせなさだけが、文字通り心残りとなった。



―――



 昼間とうって変わって、夜は海風が吹きぬけてくれるので過ごしやすい。夏場はいっそのこと昼間を睡眠時間に当てて、夜中に活動したほうがいいんじゃないかとさえ思える。電力消費も少なくて済むだろうし、環境にやさしいだろうとまで思考がたどり着いたところで、夜動いたら眠いんじゃないかという阿呆な結論がやってきたので、思うだけにしておいた。
 野菜収穫後はそのまま自室に引きこもって寝ていた。それで晩御飯のときに海己に起こされて、むしゃむしゃと(凛奈と半ば競争しながら)食べ、また自室に戻る、と。いつもよりも非アクティブな自分がいて驚くと共に、やっぱり原因は昼間のアレかなーと思い起こしたところで、寝て忘れかけていたやるせなさが再度首をもたげてくる。
 布団に寝転がりながら、手を宙へと伸ばす。どれだけ伸ばしても、掴めるのは空気だけ。どうやれば、空気以外のものを、誰も傷つけずに掴むことが出来るのだろうか。

「……わっかんねえ」

 掴みたいのに掴めないもどかしさで、頭の中が渦を巻き始める。少しずつ昔の自分へと引っ張られていく気がして、寝転がっていた状態から一気に立ち上がる。気分転換に散歩にでも行こう。そうすれば少しは気もまぎれてくれるだろう。幸いにも、外は昼間に比べて涼しいわけだし。
 と、適当に理由をつけて(会長辺りにばれると面倒なのでこっそりと)玄関に向かい、スニーカーを履いていたところで、会長(とおまけにさえちゃん)とは別の意味で合いたくなかった人物に出くわしてしまった。

「航……どこいくの? もう夜だよ?」
「海己……男には行かなきゃならない時があるんだ」
「今は違うと思うけど……」

 綺麗に返したつもりだったのに、再度あっさりひっくり返された。さてどうしたもんだろうと考えてみたところ、ふと今の自分すらも吹き飛ばせるんじゃないかと思える妙案を発見。即実行。

「海己も行こうぜ。ただの散歩だから」
「え? でも、もう遅いし、それにやることが……」
「大丈夫。後で手伝うから」

 腕を掴んで、無理やり靴を履かせる。戸惑いながらも靴を履いてくれるあたりはありがたい。

「よし、出発」

 そして、腕を掴んだまま夜の寮外へと繰り出してみた。

「わ、航、どこまで行くの?」
「なんも考えてない。とりあえずヨットハーバーでも行ってみるか」
「ホントに単なる散歩なんだね……」
「いや、単なる気分転換なんだしさ」

 なんとなく、腕は掴みっぱなしだった。海己も別に嫌がるそぶりは見せていないので、そのままにしてある。こういうときだけは簡単に掴めるのももどかしい。
 特に会話もなく、目的地までたどり着く。夜のヨットハーバーは当然誰もおらず、閑散とした空気をたたえている。その中を進み、桟橋の先まで付いたところで立ち止まってみる。波音だけが耳に入る、静かな世界。掴んでいる腕からは、海己の脈拍が振動となって伝わってくるのを感じられる。

「航……なんか、変だよ?」

 静寂を割って聞こえてきた声には幾分の怯えが含まれていた。それも当然だろう。人気のない場所で男に腕を掴まれて不安を覚えない女の子がいないわけがない。
 ……無論、海己の場合には別の意味も含まれているんだろうけど。

「私、航に気付かないところでなにかしちゃった……?」

 なおも沈黙を貫いていると、海己の声色に先ほどとは異なる不安が混じり始めていた。
 海己の表情を見てみる。そこには、怯えた顔。なのに、気付けば掴んでいた腕を、海己のもう片方の手が強く掴んでいる。



――みんなと一緒にいたい。



 突如、いつぞや海己が放った言葉がフラッシュバックすると共に、いっそのこと全てをまたぶちまけてしまおうかと思ってしまったけど、ぐっとこらえる。それをやったら、今の時点では誰もが傷つく結果に終わってしまう。
 こちらの手を掴んでいる海己の手に、さらに力がこもる。

「航……」

 海己の顔が中学時代の頃までも思い出させたところで、

「うがああああああああああああああああああ!」

 腹の底から全力で叫んでみた。

「ひ、ひぐっ!?」
「あ、悪い。脅かすつもりはなくてだな……」
「急に大声出すなんて、ひどいよ航……」

 恨みがましい声が聞こえてくるが、気にしない。大声を出して、色んなものがどこかへ消えていったのがわかる。かなりすっきりした。

「よし、帰ろう。さあ帰ろうすぐ帰ろう」
「ちょ、ちょっと待ってよ航っ」

 自分でも正直どうだろうと思う俺の行動に振り回されて、海己の顔にはクエスチョンマークが数え切れないくらい飛び交っていた。
 ……まあ、幾分の原因はこいつにあるんだから、よしとしよう。いやよくないけど。

「さー帰ったらとっとと寝るかー」
「あ、あれ、さっき航、手伝ってくれるって……」
「いや、それはちゃんと手伝うから」

 相変わらず海己は?を浮かべっぱなしだが、来たときと同じように腕を引っ張ってきた道を戻っていく。行きとは違って、適当なことをしゃべっては海己を脅かしたり、楽しませたりしつつ。それはあの頃の自分たちに戻ったようで、少しうれしかった。この状態を保つ、いや、この状態より進むために……



 もう少し、我慢しよう。出来るところまで。みんなが、海己が笑っていられるように。きっと解決策があるんだから。



 ――いつだって願い続けていたこと。あの時から見続けていた、夢。夢は崩れることなく、崩すこともなく、今も確かに、そこにある。



 いつか、叶えるために。