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一次/ちょっとした、お話

 ふと、今の自分の境遇を見やって、なんて馬鹿なんだろうと思うことがある。
 そう、馬鹿。俺は馬鹿。自虐万歳。
 右のズボンのポケットからジッポ-とマイセンを取り出して、一本火をつける。
 落ち着け俺。まるで阿呆に見えるじゃないか。

 ふーっと吐いた煙は、空へゆっくり溶けていく。時の流れもこれくらいゆっくりだったら、どれだけ平和な気持ちになれたことだろうか。

「……禁煙、したんじゃないの?」
「今だけ限定解禁。でないとやってらんない」

 はあ、と後ろから演技がかったため息が漏れる。

「そっちこそ、喧嘩、してるんじゃないのか?俺と」
「それは解禁してないわよ」
「あーそう、それは残念」

 はあ、とこちらもわざとくさいため息をついてから、いつまでたっても旨いとは思えない煙を吸い込む。吐き出す。ゆっくり上る。エンドレスリピート。

「一本」
「はあ?」
「タバコよ。一本頂戴」

 上を見上げていると、いつの間にか隣に立っていた。そして左手を差し出して、一本27円を要求する。

「吸えたのか?」
「まさか。ストレスが解消されるかどうか試したいから」
「あーそうですか……」

 泣く泣く一本取り出して、左手に乗せる。

「これどっちが口つけるほう?」
「……全く俺が吸うの見てなかったのな」
「だって私の前で吸うことあまりなかったじゃない」
「……そうだっけか」

 そんなに禁煙期間が長かったのか、と気付く。もう少し禁煙してりゃ完全に健康体になれたかもしれないと反省。

「覗き込んで葉っぱが見えないほう」
「こっち?」
「そそ。そっちを銜えて。で、火がついたら吸う。あんまり吸うと咽るけど、吸わないと火が付かないから」
「んー」

 妙な口の形でタバコを銜えたのを確認する。
 自分の奴を投げ捨ててから、火をつける。

 すーっ。そんな音が聞こえてきそうな表情。で、案の定。

「ごほっ、がはっ」

 あまり上品とは言えない咽せ方をしてくれた。
 言わんこっちゃない。だけどタバコを落とさなかったのは褒めて遣わすと心の中で告げる。

「……逆にストレスになるんじゃないの、これ」
「そりゃ吸い方の問題だ」
「……むぅ」

 やはり例のすぼめた口で吸おうと努力しているようだった。

「肺に入れない方がいいぞー癌になる」
「説得力ある忠告ありがとう。これ、何処捨てたらいい?」

 やっぱまずかったんだな、と気付き、口からタバコを奪う。
 すーっと吸い込む煙は、別にいつもと変わらない味。

「うわ」
「うわ、じゃない。もったいないだろ27円が」
「けち臭いわね」
「そりゃお互い様」

 会話終了。沈黙開始。ようこそこの空間へ。
 何なんだろね、これは。疑問符を頭の中に浮かべられるだけ浮かべながら、しかし片っ端から疑問符を消していこうとする自分もいることを感じる。
 やがて奪い取った、というよりは奪還したタバコもフィルター近くまでとなる。最後一息に吸い込んで、吐き出して、やっぱり空にゆっくりと浮かんでいった紫煙を眺めつつ、その輪の真ん中に吸殻を投げ込んだ。

「あーうまかった。特にフィルター」
「……馬鹿」

 嘆息を吐かれる。

「馬鹿で結構。で、喧嘩中なのにここに来たってことは、もう出たのか?」
「……そうよ」
「どんくらい?」
「3ヶ月」
「……3ヶ月、ねえ」

 3ヶ月。なんともコメントしがたい。
 経ってしまえばあっという間の時間であり、過ぎる前から見ればそれなりの期間。
 今から3ヶ月前を振り返る。覚えてない。あいにくと物差しを作ることは出来なかった。
 だけど。

「たった、3ヶ月……なのよ」

 その声に。
 やっぱり短いんだなあと実感する。

「……ああ、本当、たった、だな……」

 言ってなおさら実感。
 3ヶ月しか、ない。
 不意に涙腺が緩みかけた。どうにかこらえる。
 泣いたら負けだな、と脳内に住む誰かが囁いていた。

 横を見ると、ああやっぱりなと思う光景。

「……っ……」

 彼女は、声を押し殺して、涙を流していた。
 さすがに、負けだなんて言えなかった。

 彼女は感受性が高すぎる。世間一般ではそれは非常にいいことだが、就いている職によっては致命的なものとなる。

「俺が、初か?」

 コク、と弱々しく頷かれて、心底参ったなあと唸る。
 まあ仕方あるまい。就いて1年程度なのだから、臨床経験も少ないだろうし。
 だけど、この先どうするのだろう。俺だけ、なんてことはないだろう。
 適正試験を見直したほうがいいんじゃないか、と医学会に追求したくなった。もっとも、看護士の試験は医学会関与じゃないかもしれないが。

 彼女は、優しすぎる。致命的なくらいに。
 先が見えている俺の担当なんかにならなきゃよかったのに。たとえ、俺と会うことがなくても、彼女にとってはそれが幸せだったんじゃなかろうか。俺といる時間がなかったほうが、幸せだったんじゃないだろうか。
 今となっては、わからない。ifによる分岐なんて、人は一つしか選べないのだから。

 選んでしまったんだ、今を、俺も、彼女も。
 先がわかっている結末を。

 なら。

「なあ」

 意識してぶっきらぼうに声を掛ける。

「……何よ」

 ぶっきらぼう加減が伝わったのか、彼女の声もぶっきらぼう。涙の色は、少しだけ。

「看護師って職業、続けたいか?」

 息を呑む音が聞こえた。

「この先、同じことが絶対に、何度もある。それでも、続けたいか?」

 だけど、俺は続ける。この先の選択肢を、見失わないために。
 何が彼女にとって一番いいのかを。

 時間は、今だけゆっくりと流れていた。肌でそれを感じる。

「……うん」

 静かに、首が縦に。

「続けるよ。続けたいよ。これは、私の夢だったから」

 彼女は、予想通りの答えをくれた。
 じゃあもう、俺の言うことは決まっている。やることも決まってる。

「何が、あっても?」

 わかっている。これは酷な言葉だって。自分自身にも酷なんだから、彼女が落ち込まないわけがない。
 何があっても。たかだか数文字の台詞は、何よりも深く、重たいものしか意味しないことを、俺たちは知っている。
 だけど。わかってくれなきゃ、彼女は潰れる。俺と共に。それは、最悪なんだ。



「……うん」

 しばらく後に、彼女は頷いた。

「そっか。なら、大丈夫だな」

 涙が流れた痕を人差し指でなぞってから、唇に唇を重ねる。

「……へんな味がする」
「そりゃニコチンやらタールやら。大体、お互い様だし」
「……馬鹿」

 さらに悪態を吐こうとする彼女の肩を抱き寄せる。
 小刻みに震えている身体が、やっぱりさっきの言葉が持つ重みに怯えているんだということを如実にあらわしていた。
 強がり、も時にはホンモノになってほしい。優しさを隠すためなんかじゃない、強さを。

「俺を、叩き台だと思え。そういうことがあるっていう、いわば試練の一つだよ。で、乗り越えたらめでたくレベルアップおめでとう」

 震えは止まらない。畜生、こっちだって震えたいくらいなのに。
 だけど、震えたら意味がない。

「俺は、さ。試練内容だから手出しできないし、その先も手出しできない。試練内容は一回きりの使い捨てだから」

 腕が、震えだす。俺の身体が起こしているわけではない。
 馬鹿、これくらいで怯えてたら、3ヶ月後にはどうなるんだよ……
 俺に出来ることなんて、これくらいしかないんだから。

 ためにためて、あまり言いたくなかったけど、言わなきゃいけない言葉を脳内に並べておく。
 OK、準備は出来た。
 彼女は、やっぱり泣いていた。

 すーっと、肺に酸素を取り込む。
 ほら、癌細胞君たちも酸素取りなよ。あと3ヶ月なんだから。



「泣くなぁっ!!俺の好きな女は、俺が死ぬとわかったくらいで泣き出すような奴じゃねえ。強気で勝気で、ともかくめちゃくちゃだけど優しい女だろうがっ!!」



 びくっ。
 腕の中で、音がした。



「そりゃ俺だって悲しいさ!お前が立派な看護婦になっても、傍にいることが出来ないってわかっちまったんだからな!どんだけ肺癌なんかになるまえに出会えてたらって考えたか!だけど、だからって、俺が死んで、それでお前もダメになっちまったら、俺たちが出会って、好きあって、喧嘩もして、だけど幸せで、そんな時間すらダメになっちゃうだろうが!」



 叫ぶ。誰かに聞かれたって構わない。むしろ聞け。



「……なあ、お前は優しい。優しいよ。俺はそんなお前が好きだ。だけどさ、強気なお前も好きだからさ、3ヵ月後も、乗り越えてくれよ。優しくて強気な、いい看護士になってくれよ。俺と別れても、看護士であり続けてほしいんだ。なあ、頼むよ、なあ……」



 頭の中ではちゃんと再生されていたけど、声は最後まで言えていたのだろうか。
 こっちまで、泣きそうで、必死にこらえて、告げた。
 想い、君に届け。





「……馬鹿」

 たっぷり5分ほどとって、いつの間にか俺の胸の中で、彼女はいつものように、おなじみの言葉を放った。

「私、頑張るよ。3ヶ月、傍にいて、挫けないで送って、その先も頑張るよ」
「……ああ。とりあえず、喧嘩は仲直りな、俺が悪かった。あんまり無茶しないようにする」
「うん、私も悪かったよ。だけど無茶はしないでね」

 ぽんぽんと、背中を叩いてやる。同時に空いている手で頭をなでる。
 患者が看護士を慰める、不思議な光景。
 俺が彼女を慰める、それも不思議。

 あと3ヶ月。残された時間。
 せめて、彼女が挫けないよう、頑張ろう。
 心の中で誓った。


 少し寒くなった屋上、手すりの遥か向こうの水平線に、紅い太陽が沈んでいく。
 やがて星空があらわれだす頃まで、二人の影は一つになっていた。