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一次/Word's World

――サム センチ――



 何か物を落としたとき、一度で拾えないことがある。在る、と思って手を伸ばした場所にはなく、わずか2、3センチ隣にある。あれ? と首を傾げては再度手を動かして目的の物を拾う。わずかばかりの寂寥感。
 そんな感じ。振り返ると、何時だって何処でだってそんな感じ。

 たった2、3センチは果てしなく遠い。

「そんな気分になったことない?」

 ぼんやりと汚れた天井を見つつ、問いかけてみる。
 言葉の受取人はというと、一瞬考え込んだ後いかにも答えがわかりました的表情で返却してくれた。

「割といつもかも」
「……なるほど、同じだ」

 同じでなきゃ僕らはやっていけるわけがないか、と今更ながらに思い出してしまう。世の人は大抵、自分と違う物を持っているヒトを求めるが、僕らは常に2、3センチのクレバスを世間と挟んでいるから、距離の分だけ考え方が違うのかもしれない。
 同じでなきゃ、僕らはやっていけるわけがない。同じであることを求め合うはみ出し者同士なのだから。

「なんとなーく寂しくなるけど、露骨に寂しさを表す必要もない。そんなところでしょ?」
「ご名答」

 阿吽の呼吸で僕らは互いに頷く。頷いた際、腹部に乗っかった物体が多少体重移動するのを感じる。
 そこで、今更ながら現況に気付く。

「何時まで上に乗っかってるの?」

 年頃の女の子が年頃の男の子の腹の上にスカート姿で乗っかっているというのはいかがなものか。あまつさえ、足を開いて、むにゅっと。誤魔化し誤魔化しで現在の僕らの格好について表現することも可能ではあるが、面倒なので端折って言うと直パン。おまけに見えてる。
 どういう教育したらこうなるのか、親の面を拝んでみたい。が、しょっちゅう目の当たりにしていることを思い出し、色んな意味をこめて嘆息する。
 あの、親馬鹿め。

「……飽きるまでかな。ひょっとして、もうちょっと下にずれた方がいい?」

 親馬鹿あって子馬鹿あり。一回脳みそを濯いで来た方がいいんじゃないかと、どこかで聞いて頭の片隅に残っていたセリフをこっそり吐き出す。

「……まだ、太陽は空にあるんですけど」
「なら沈んだらいいの?」
「沈んだ直後も早いと思うけど。というか、もう行動前提?」
「だっていつもやってるじゃない」

 事実を突きつけられて、むうと黙るしかなくなる。でも、重いものは重い。だいたい、いつもがどうたらこうたらは関係ないじゃんと気付く。

「重いものは重い」

 そのまま、直球ズドン。やはり向こうもむうと黙る。何だ、事実を突きつけられると黙り方まで一緒なのか僕たちは。

「お、女の子に言う台詞じゃないよ!」
「40だろうが50だろうが60だろうが、重いものは重い」
「5、50もないよ! いくらなんでもひどくない?」
「……乗っかり続けてたら延々と言い続けるよ」

 重いと言われ続けるシーンを想像したのか、やたら嫌そうな顔を見せた後しぶしぶ僕の上から降りた。でも代わりに、なぜか僕の手を握ってくる。

「……今日はどうしたのさ」
「ん、ちょっとセンチメンタルな感じ?」
「だからって乗っかるのはどうなのかなあ……」
「別に触れてたっていいでしょ?」
「だからって乗っからなくても、こっちは重いし」
「……少しでも触れてたいんだもん」
「普段からそのくらいセンチメンタルだと嬉しいんだけど」

 まったく、と投げやりな言葉を投げつけてから手を少し強く握ってやる。

「……たまには、だからいいんじゃないの?」
「自分で言うな自分で」



「ま、わずか2、3センチもはずすつもりはないけどね」
「この手のこと? それとも……」
「はいはい、微妙にいい雰囲気にしたつもりなのに目線を下に下げない」



――インパルス――



 街を歩いていると、時折人を吹き飛ばしたくなることがある。無論思っても僕はやらないけど。ついつい握りこぶしを作りたくなる衝動って誰でもあるような気がするけど、アンケートをとったことがないから果たして一緒かどうかわからない。
 しかし、絶対にあると思う。ないというならその人は神様かなんかに違いないから、人である以上はある。見事に間違った論法なのはわかっているけど、そう考えたくもなる。
 抑えがたい衝動。

 抑えなきゃならない衝動。

「そんな気分になったことない?」
「ないない。あるわけないでしょー」

 同意を求めると、そっけない答えが返ってきた。悲しくなったので、歩くスピードを少し速めてやる。すぐに、ぱたぱたと慌てた足音が聞こえてきた。

「すねた?」
「何ですねたことになるのかなあ……」
「だって歩くの速くしたでしょ?」
「いやまあそうだけどさ、普通こういうとき怒ったって言うと思うけど」
「だってすねてるじゃん」

 むう、とつい先ほど乗っかられていたときと同じように黙ってみる。思いだしたら乗っかられていた部分が痛くなってきた。
 というか。

「すねるも怒るも一緒か」
「今更気付いたの?」
「……なんかつっこまれるとむかつくなあ」
「うわ、もっとあくどいすね方だ」

 ……どうやら僕は余計なことに気付いたらしい。泣きたくなる。

「って、そうじゃなくてさ、殴りたくとかそういうの本当にないの? 絶対あるでしょ」
「うわ、自分と一緒にした……」
「……普段は身も心も一緒がいいとか言ってるのに」
「ま、街中でそんなこといわないでよ! 殴るよ!?」
「あ、ほら他人を殴りたくなってる」
「と、当然でしょ!? 家の中じゃまだしも外でそんなこといわれると恥ずかしいじゃない!!」
「うむ、やっぱり街中でも殴りたい衝動ってあるんだ」

 突如、鈍くて強い衝撃が僕の頭を襲う。隣を見ると、凶器と思われる拳を痛そうに撫でている姿があった。

「……なんで殴るのさ」
「殴りたくなったから。文句ある?」
「……ないです」

 長い付き合いではあるが未だに地雷がつかめないのはいかがなものだろうか。埋められない数センチは何時になっても埋まらないのかと考えるとちょっぴり寂しい。

 そんな自分を吹き飛ばしたい、みたいな。

「……ねえ、さっきより握る力強くない?」
「気のせいだよ」
「あーわかった、どうせ寂しさとか感じてたんでしょ?」
「うわ、一発でばれてるし」
「さすがに長くいるんだから突発衝動くらいわかるよ」
「さすがです」
「もー私のことだってわかってよねー付き合い長いんだから」
「時折すっごく反省してる、いや本当に。だから睨まないでくれよ」
「むー本当に?」
「本当」

 信じてくれないらしい。仕方ないので、歩みを止めてその場に強制停止。へっ? と振り向いた顔に一撃を加える。ほら信じてくれよ。

「へ、あ、わ」
「これで信じる?」
「だ、だ、だ……」
「だ?」

 再度、痛い攻撃が飛んできた。

「誰が街中で衝動的にキスしろって言ったのよ!?」
「……だからって衝動的に殴るのも困る……」



――プレッシャー――



 建物の中に入ると、たまらなく押しつぶされそうな感じを受けることがある。空気の塊が僕を包み込んでは握りつぶそうとしてくる、そんな感じ。じたばたもがけばもがくほど余計に力を入れてくるSっ気たっぷりな圧力。
 特に、デパートなんかに行くと余計に感じる。人が多い上に、成分構成がおばさんばかりだから視覚的プレッシャーも強くなるのかもしれない。
 だが、お姫様はというとそんなことおかまいなしに、おそらく今この時点でデパートの中で一番人口密度の高いと思われる戦場――その名も、バーゲン会場に特攻して行った。時折、おばちゃんたちの隙間で悪戦苦闘している姿が散見される。前々から気付いてたけど、お姫様はどんな場所や時間でもタフネス抜群だ。少し分けてくれっての。

 しばらくすると、ご満悦な表情で紙袋を抱えて出てきた。こちらからレジの場所が見えないということは、おばちゃん饅頭の中で商品を選んで会計を済ませて、ということになる。あー恐ろしい。
 恐ろしいので、笑顔で差し出された紙袋をしぶしぶ受け取る。あー重い。

「今絶対こんなくそ重いものよく持てるなあって思ったでしょ?」
「……ご名答」
「殴るよ?」
「さっき貰ったので遠慮しておきます」

 笑顔で握り拳を見せられては引くしかない。軽そうなトートバックを楽しそうに揺らす姫君をつれて、デパートを出る。
 柔らかな日差しと暖かい風が、僕の身は自由であることを告げていた。

「あーやっぱり外の方が気持ちいいよ。あんな中にいたら押しつぶされそう」

 少しだけ必死に背伸びをして、解放感を味わってみる。
 たまらない。ああこのためにプレッシャーってあるのかと勘違いするほどに。

「よくあんな圧迫感のあるところにつっこんでいけるよね」
「それは誉めてるのかしら? それとも貶してるのかしら?」
「当然誉めてる。僕には出来ないことだしね」
「本当かなあ……」

 珍しく誉めたら、信じてませんよ感丸出しの目線を送られた。仕方ないので、重たいものを持ちながらやれやれと手や首を振る。

「まあ、それが本当だとして。別にそんなに苦じゃないよ? だって、バーゲンは大好きだし」
「好きなものこそ上手なれ、みたいなものか」
「ちょっと違うと思うけど……むしろ、自分では気に入ってる話なのに話したらわかってもらえない悲しい落語家みたいな?」
「こっちはもっと違うでしょ」
「でもほら、こっちもある種のプレッシャーじゃない? 期待されてるのに、話したらダメでしたー自分的にはいいのにーっていう、隔離的圧迫感みたいな」
「みたいなが多いから、あと、その落語家ネタ選択間違ってるから多分」
「えー? 言外に皮肉をたっぷり入れた不可解シニカルネタなのにー」
「シニカルも皮肉も一緒だから、あと不可解シニカルって意味わからないから、って別に馬鹿にしてないからそんな怖い視線でプレッシャー与えないでよ……あとカバンから取り出したそれはマッシャーだから、って何でそんなの持ってるのさ」
「喜びの代名詞みたいな」
「それはプレジャー……もう、最後には全然別のものになってるじゃないか……」

 ぶつぶつと僕は文句を言い続ける。当然だと思う。
 さすがに少し悪く思ったのか、空いている右手を僕のほうに差し出してくる。2、3センチのずれもなく、正確に左手で答える。
 掴んで、組み心地を確かめてから姫君はぎゅっと強く僕の手を握った。



 ……なるほど、プレッシャーとプレジャーは似てるかもしれない。



――ヒドゥン――



 家に近づくにつれ、だんだんと空に闇が立ち込めてくる。それはまるで、何かを覆い隠さんとするかのような勢いだった。

 人には隠さなきゃいけないものが少なからず存在する。
 たとえばそれは。
 自分の財産の在り処だったり。
 内なる性癖だったり。
 他人との関係だったり。

 僕らはそのうちの一つを抱えていて、周りにばれないよう、こっそりと生き続けている。
 道を歩くにしても、本当は手なんてつないでちゃいけない。仲良くしていてはいけない。

 愛し合ってはいけない。

 だけど、隠さなきゃいけないものは、往々にして文字通りhidden――神秘的な――という形容詞句によって修飾されやすい。
 隠さなきゃいけない、神秘的なモノ。この英単語の意味を考えた人は、なかなかにくいやつに違いない。こんなにステキなダブルクオリフィケーションの役目を与えたのだから。

 神秘に手を出して、人は手に入れたらそれを隠す。
 しかしそれは神秘的なものだから、隠しきれるわけでもないし、隠したくないときもある。
 でも隠さなきゃいけない。
 いつまでたっても堂々巡りが続く。



「この街の景色にも大分見慣れたよねー」
「さすがにこれだけ毎日買い物とかに行ってるとね」

 僕らは、隠さなきゃいけないけど、隠したくもなかったから、自分たちから動いた。誰も知り合いのいないこの街でなら、隠さなくてもいい。
 禁断の果実を。

「早く家に着かないと」
「……なんで? 見たいテレビがあるとか? それだったら最初からもっと早い時間に出れば……」
「違うよーただ、早く家に帰りたいなって」
「……マッシュポテトを作りたいとか。ほら、さっき持ってたでしょ?」
「そんなわけないでしょ!? あれは単なる小道具だし」
「小ネタのためにマッシャーを持ってくるのもどうかと思うけどなあ」

 周囲から圧迫されない、喜びをここに。



――サマリー――



「あー着いた着いたー」

 家に着くなり、姫君はバックを放り出して奥のほうに走っていった。やっぱり、見たいテレビがあったに違いない。
 はあ、とため息をついて腕時計を見やる。既に午後5時を回っていた。帰り道を歩いていると次第に暗くなっていくわけはここにあった。

「んで、どうしたのさー」

 重たい紙袋を抱えながら廊下を進む。すると、リビングに張ったところで彼女は待ち構えていた。

「えへへ」

 笑顔つき。大体、笑顔を浮かべているとろくなことが無いと長年の付き合いでわかっている。

「はいせんせー今日の出来事についてまとめまーす」
「まとめる? 何さ、出来事をまとめるって……」
「大丈夫大丈夫」
「大丈夫って、何で大丈夫とかいう物騒な言葉が出てくるんだか……」

 どうやら、僕があれこれ言ってたことをまとめたいらしい。そういえば、今日は結構多言だった気もする。

「まとめるとー……ようやく、やれるね」

 最初は何だっけ、ああ、数センチの寂寥感で、次が衝動、そして圧迫、隠匿……
 なんだ、最初から最後まで僕たちのことばっかりだ、と今更気付く。
 世間と数センチ離れた嗜好を共有する僕たちは、それが生み出す衝動にのっとって動き、周りに圧迫されつつも隠れた……

「って、待って待って、それのどこが要約?」
「だからーわかんないかなー?」
「はい?」
「まとめることってつまりは要約でしょ?」
「まあそうだけど」
「その要約と、副詞の“ようやく”を掛けただけでしたー」

 思わず、紙袋を落とす。わが妹君の思考回路は、人様よりも特殊だった。

「……じゃあ、そのくだらない掛詞」
「くだらないって言わないの!」
「わかったわかった、んで、掛詞の後に、なんでやれるね、なんて言葉がつくんだ?」
「だって……」



 僕らは、他の人たちとは数センチ違う感情を持っていて。
 数センチを埋め合わせるかのように同調して。
 抑えられない気持ちを、森の中にこっそりと隠して。
 だけど幸せに、生きていく。
 隠した宝物を抱えて。

「出かける前に聞いたでしょ? 日が沈んだらやってもいいかって」
「あーあー……そんなことだけ覚えてるんだから。……まだ、夕御飯も食べてないんだけどね。まあ、いっか」
「まあいっか、で全てOKにしてやり始めようとするのもどうかと思うけど……」
「気にしない。さ、部屋に行きますか」

 数センチのクレバスを、互いの全てで埋めつつ。