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place of happiness/2話

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 退屈な日常は時に恐ろしい悪魔を引きつれてくることもある。

「あーねむっ」

 即ち、睡魔。至福の一時へと誘惑する女神を偽る悪魔。一度微笑みを向けられれば、メデューサに睨まれ石化するが如く、頭が重力に従って降下し、そのまま暗黒世界――睡眠、ともいう――へフォーリンラブ。
 別名、授業中の天使。寝てしまえばそこには悦楽の世界が待ってはいるのだが、あいにくと天使は快楽と共に、正確に投擲されるチョークとありえない量の宿題をもたらしてくれるので寝るわけにはいかない。
 天国と地獄を分け隔てる、日常に埋没した密かなる激しい戦い。
 勝者には自由(時間)を、敗者には罰則(宿題などなど)を――

 ……などとまあ阿呆なことを考えて眠気を紛らわしていると、いつの間にか時計の針は進んでいくのだ。寝るより有意義かもしれない。
 はあ、とお決まりのため息を吐き、初老の教師が描く、百人一首ワールドの繰り広げられている黒板から目を逸らし、前、右前、左に座っている友人、いや親友ども(男1・女2)を見てみる。右前と左に座る女2名は割と真剣にペンを走らせているが、前に座る悪友は頭の揺れ具合からして寝てるようだ。敗者になれ、敗者に。
 はあ、ともう一度ため息を吐いた時、終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。



「んーよく寝た」

 そういって伸びをするのは志倉栄一。友人その1。

「授業中、だったんだけどね……」

 やんわりと突っ込むのは中谷紫織。友人その2。

「いーのよ紫織。どうせこいつはいつもそうだし」

 直球で毒吐くのは新井由紀江。友人その3。
 以上、他人紹介終了。こいつらに俺を含めた4名が、高校での基本メンバーとなる。
 メンバーお約束、中谷の言葉に乗じてイジメ開始。

「栄一イコール寝る奴。栄一にそれ以外のステータスはないからな」
「そ、そこまで言うかっ!?」
「実際そうじゃない……」
「寝てばっかりの栄一君が悪いと思うけどなあ……」
「け、啓介ぇ……お前と俺の昔からの仲だろ?こういう時は助けてくれよぉ」
「却下。大体高校からの付き合いを昔から、というんじゃない。そんなこといったら世の中の幼馴染たち……端的に言えばお前ら3人は太古の昔からの三葉虫的仲、になるだろうが」
「そうだよ、俺たち仲良し三葉虫だよなあ? 2人とも」
「違うわね」
「……ごめん、私たち人間だから……」
「……ひどいよこいつらぁぁぁぁぁ!」

 栄一、涙ながらにフェードアウト。
 非常に愉快な友人達である。

「……いつものことだけど、ちょっとかわいそうだったかな」
「紫織、謝りながらとどめをさしたのはあんただからね? いつもだけど」
「え? そうなの?」

 ……合掌。天然というのは、最強の武器である。



 授業中は眠気と黒板写しとの三つ巴の戦い、休み時間は栄一イジメと、まあ密度のあまり濃くない時間を過ごしていれば、いつの間にか昼休みである。振り返ると、それはもしかしたら濃い時間だったのかもしれないが、出来ればそう考えるのは願い下げたい。

 昼休みというと、飯である。学食と購買という、昼休みの最強のお供があるにはあるのだが、両者競争率がありえないほど高く、連日挑む者の半分が飯に有り付けない状態となっている。
 素直に座席・カウンター・ストックの食材・人材を増やせとは思うのだが、何を血迷ったか校長は「戦いの中に健全な魂は宿るのです」と、増やすことを断固拒否している。いつかPTAあたりに訴えられるに違いない。
 と、いうわけで。
 ちっぽけな平和主義者は弁当を持ってきて教室その他銘々の場所で食べるのである。
 俺たちの場合は屋上である。学校という堅苦しく特殊な施設では珍しく屋上が整備されており、ベンチや屋根などがあり格好の場所となっているのだ。まあお約束というか何というか、グループよりもお熱いカップルやちょっぴりアレな一人ロンリーの方が多いが、心や頭が痛くなるので見えてないことにする。

 ついでに言うと、親がいないために俺の弁当は自作である。これもまた少し心が痛くなる要因ではあるが、気にしたら負けである。

 休みの次の日、仲間内で話すことといったらこれである。

「なあなあ、昨日何してた?」

 休みの日の出来事交換は重要なファクターだ。付き合い始めも最中も、休みについての話から始まることが多いのだ。

「あたしらは渋谷まで買い物に行ってたわよ。ねー?」
「うん、服とかアクセサリーとか買ったんだよ」

 新井・中谷ペアは仲良く買い物に行ったとのこと。普段から仲がいいのは非常にいいこ
とだ。まあ、幼馴染なのだからある意味当たり前かもしれないが。

「そういう栄一は何やってたのよー?」
「んー、近所のゲーセンでとりあえずギルティやっては相手ぼこして、その後太鼓叩いて……家帰ってウイイレ8でマスターリーグやってた」
「……なんか、健康に良くなさそう……」
「いっちゃだめだ、きっとこいつ遊ぶ奴がいなかったんだよ」
「淋しいわねえ……」

 いじるのはいつもの事である。

「ううっ、ほんとは啓介誘ってどっか行こうかと思ったんだけど、こいつ電話にでないか
らさー」
「へえー啓君どこか行ってたの?」

 電話が掛かってきた云々はまあスルーとして。唐突に昨日の出来事が脳裏を駆け巡る。あんな非現実的現実、言えるわけが無いし言うつもりも無い。
 さて中谷の問い掛けにどう答えよう?
 ……こうしよう。

「……軽く、ランニングを」



「うわーいつからお前体育会系爽やか好青年になったんだ!?」

とか

「啓君、どうしたの……?」

とか

「似合いそうで似合わないわねー」

とか。ランニングを口実にしたらここまで微妙な感じで詰られた。こういうときだけ結束するのが性質悪い。

「普段俺がどう思われてるかよくわかるなー」

 多少の皮肉を行間にこめて呟く。まあ、自分でもランニングなんて似合わねーと思うわけだが。

「で、本当のとこはどうなんだ?」

 自分のロンリーホリデーの原因に興味があるのだろう。栄一が答えを催促する。新井や中谷の表情からも、ランニングは信じてもらえなかったらしい。

「ははーん、啓介君、もしかして……」

 新井が何やら思案顔(それは栄一イジメの時に見せるような)で推測してくる。何故だろう、次何言われるか脳裏にたやすく浮かぶ。
 繋げたのは中谷。彼女は浮かんだ事柄を的確に言ってくれた。

「彼女とシッポリ?」
「シッポリは古いわっ!」

 ……まあ、前から気付いていたんだが、どーもこの子は時折物凄いボケを発揮してくれる。それはもう、体力を一気に奪いさるほどの。
 天然は最強の武器、これ午前中も思ったな。

「……言っとくが彼女なんて残念ながらいないし、単に普通の買い物と気晴らしだよ」

 疲れながらも一応誤魔化しておくことにした。だったら最初から買い物としておけばよかったのだが……後の祭りというやつだ。



 一同「なーんだぁ」と納得顔ウィズつまんねえ顔。平凡な日常に適度なアクセントが欲しいのはよくわかる。
 あくまで適度、だが。そして俺に求めるな。

「なら俺と遊べよー」やら「よかったぁ」やら(この発言は色々問題がある気がするが)感想を述べる中、新井は恐ろしいことを言ってくれた。

「じゃあ昨日マックで啓介君と一緒にいた美人は彼女じゃなかったんだ」
「おい待て……」

 顔を見る。にたーっと笑う女約一名。
 ……見てて言ってたんかいっ! 頭ではセリフを考えていたのだが、俺の口は別の言葉を発してくれた。

「アレのどこが美人なんだっ! 単なる性悪女じゃないか!」

 ついつい、こっちにツッコミを入れてしまった。きっと本能のなせる業だろう。
 だが、今この時点においては、非常に厄介な本能であった。

 ――疑惑、再燃。

「やっぱり女性と楽しんでたんじゃねーかっ! くーっ!」
「やっぱり啓君彼女がいたんだ……」
「あたしの見た時はじゃれ合ってた感じだったわよー」
「うらやましいっ!」

 エトセトラエトセトラ。むちゃくちゃに言われる中、やっぱりあの女が悪い、と保心のために決め付けて頭を抱えた。



 さて、どうしたものやら。踏んでくださいと言わんばかりのトラップ(設置者:新井)
に引っ掛かってしまうのは自分が悪いのだが、とりあえずあの女が悪いということにして
おく。

「あー……」

 さて、どうしたものやら。

「アレは、その、従姉だ」

 とりあえず、無茶苦茶な誤魔化し方を選んでみた。

「従姉、ねえ……」

 現場を目撃している新井は訝しげな表情を浮かべている。当然といえば当然か。俺だって目撃側なら疑う。まず間違いなく従姉じゃないだろと突っ込む。

「久しぶりにこっちきたからーとか何とかで、おごらされた」
「へぇー……」

 ……泥沼。どうしろというんだか……

「間違ってもあいつは彼女とかそんなんじゃないからな。言うならば……トラブルメイカーみたいな?」

 嘘半分真実半分味付けは気合いで説得(みたいなもの)を試みる。

「……俺は啓介を信じるぜっ!」

 約一名、見事に騙されてくれる。こんなときだけ親友というやつに感謝しておこう。

「俺より先に啓介が彼女をつくるなんてありえないっ!」

 ……が、説得した方向とは空間の違うベクトルで。
 ありがたいといえばありがたいのだが、無性にむかついたので一発殴ることにした。



 はあ、と握り拳に息を吹き掛けがてらため息をつく。何故こんなに疲れなきゃいけないのだろう。やはりあの女が悪いっ。

「で、本当のところはどうなのよ?」

 涙を浮かべる男は放っておいて、新井が尋ねてくる。その横で中谷が大きく頷く。
 ……魔女裁判か?

「まあ従姉でもないんだが、単に苦労人の知り合いの娘さんなだけだ。あいにくとゴシップネタにもならんよ」

 最大限真実を使って最後の言い訳をする。打つ手なしの状態ではあったが、やや不審がりながらも女性二名は納得してくれたようだった。

「なんだぁ、よかったー」

 ……いや、だから中谷、そーゆー発言はまずいっての。



 この後は普通の雑談に戻り、気付けば昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いていた。
 いそいそと片付け、さあ帰ろうかというところで、新井が耳打ちをしてきた。

(さっきの件で話があるから、放課後時間を頂戴)

 未だ芸能レポーターやってるのかと思ったら、顔が普段あまり見せない真剣な表情だった(新井は俺と同タイプで、日常ではさりげなくポーカーフェイスを操る面がある。真面目なときは使わないが)ので、俺は素直に了解することにした。
 ……さて、何の話やら。



 色々話は飛んで放課後。授業中はどうにか寝るのを堪え、さて帰るかというところで新井の言葉を思い出す。肝心の彼女はというと、中谷に今日は一緒に帰れないと伝えていた。
 はあ、と一つため息。一難去ってまた一難。

「おい啓介。今日こそゲーセンいくぞ。この間百式で負けた分の借りを返してやるっ」
「あーすまん、急用が」

 こちらには栄一が放課後の娯楽を求めてくるが、仕方ない。

「またかよ。あれか、例の美人か!? くそいうらやましいっ」
「いや違うから。また今度ネモで相手してやるから」

 ポンポンと二回肩を叩いてやる。それから鞄を掴みきびすを返して教室から廊下へと出る。やや間があって、新井も出てくる。

「お待たせ」
「ん、で、話って? まあおおよその予想はつくんだが」
「きっと予想以上よ。少し長くなるから、適当な場所に移動したいんだけど」
「どうぞどうぞ。煮るなり焼くなり揚げるなりしてくれ」

 何もとって食べようってわけじゃないんだから、と軽口に返しながら、彼女は無難にサイゼリヤを選択した。一番財布に優しい選択肢(ドリンクバーがあるのだ)であるので、OKして向かうことにした。



「で、話って?」

 10分ほど歩いて、到着→注文をちゃっちゃとこなし、すぐに話を切り出した。雑談なら既に昼休みに済ませてある。
 ちなみに俺が頼んだのはミラノ風ドリア、新井はミルクレープ、そして互いにドリンクバーといったところ。手元にアイスティーが並んでいる。

「彼女よ。なぜ雫さんとあなたが一緒に?」
「……ちょっと待て」

 切り返しは更に突飛だった。

「雫、ってのは昨日のバカ女だよな?」
「そうよ、っていうか、いくら何でも名前くらい覚えてるでしょうが……」
「いや、東野さんもバカ女相手だと大変、ってそうじゃなくて」

 どうも話がずれるが、何よりの疑問が一つある。

「なんで新井があいつの名前を知ってるんだ? この調子だと、あいつのことをよく知ってるんだろ?」

 もちろん、という前置きの後、新井は答えを示してくれた。

「忘れたの? 父親が警察のお偉いさんなんだから多少の裏事情に詳しいのは当然でしょ」
「あーなるほど、忘れてた」

 そういえば新井の親父さんは、警視庁の上位クラスの人間である。同組織内なら多少の
つながりもあるだろう。
 ……でも娘に極秘事項っぽいのを教えるのはどうなのだろうか。

「そうじゃなくて」

 一つ呼吸を置いて、新井は告げた。

「一般人の啓介君が、何で彼女と関わりがあるのよ?」



「あー、えーと、そのー」

 返答に窮する。
 大体、脳内ツッコミの親父さんが警察上位層だからって娘まで詳しいのはおかしいんじゃないか、を使ってでも濁したかったのだが、あいにく目の前の人間は許してくれそうにない。
 だからといって。
 答えるってのもなあ……

 だんだんと視線がきつくなる。
 すまん、バカ女。銃弾からは逃げられても、これには逃げられん。女の視線は怖い。

「あー、簡潔に言うと、だ。成り行きで情報運ぶの手伝わされた」
「なっ……!? それ、本当なのっ!?」
「嘘ついてどうするんだよ。ちなみに、銃弾が飛びかう中を逃げ回ったりもした」
「あ、呆れるわね……」

 こめかみに人差し指を当て、時折頬をひくつかせながら新井嬢。うん、俺自身そう思うね。同意同意。

「どうせ雫さんのことだから無茶なスケジュール組んで自爆したんでしょうけど、だからって一般人の啓介君にヘルプ頼むなんて……おまけに拳銃持ちの相手からの逃走……」

 普段あまりないマシンガントーク炸裂。言葉という銃弾はきっとあいつに向けられているのだろう。
 俺ではないはずだ、多分。



「……まあ、事情を納得はできないけど理解はしたわ」

 はあ……と疲労感たっぷりにため息を吐いてから新井はこうぼやいた。

「どうせそんなところと思ってたけど」
「気付いてたんなら何で昼休みの時、別方向に蒸し返したんだよ……」

 俺が恨みたっぷりの半眼で睨むと、至極あっさりとした答えが返ってきた。

「簡単よ、たまには日常にもスパイスを加えないとだらけるだけよ」

 おい、となおも反撃しようとすると、新井は手でそれを遮った。

「まあそれはさておき、今後よ今後。雫さんが目を付けたってことは、きっと今後も同じようなことに巻き込まれるわよ?」

 例えば。
 こう前置きしたあと、彼女は実に具体的な例を示してくれた。

「殺されるとか」

 死。一番危険度を表す単語。

「何もまだ俺が今後彼女に話を振られたときに手伝うなりなんなりする、等とは言ってないんだが」
「あまり手伝ってほしくないから忠告してるんじゃない。万一死なれたりしたら目覚め悪いでしょ」
「そりゃごもっとも」

 わずかに流れる重たい雰囲気を消すかのように、二人揃ってアイスティーをすすった。氷が解けていて、普段よりさらに薄味になっていた。



 軽くグラスを振ると、半分くらいの大きさにまで縮んでいた氷が軽い音をたてた。澄んだ高い音、ではなく、重さが足りずにいい音が出せませんでした、といった感じの音。ひどく場違いなようで、あながちそうでもなかったりする。

「つか、さ」

 メトロノームのようにグラスと氷でで一定のリズムで音を立てながら、とある確信めいたものを口にする。

「この先俺の意志が関わりたいのか関わりたくないのかどちらであろうと関係なしに、巻き込まれるときは巻き込まれる気がすんだけど、もう、この先ずっと」
「……そういえば、そうね」

 はあ、と新井大げさにため息をつく。釣られてこちらもため息をついてしまう。おそるべし、連鎖反応。こうして人は平等に歳を取っていくに違いない。

「アノ人の性格を考えると無理ね。おまけに啓介君、どっちかというと巻き込まれ型みたいだし、余計無理ね」
「巻き込まれ型言うな。何故か泣きたくなるから」

 今度は俺が先にため息をつき、新井が釣られてつく形になる。
 きっと東野雫と言う人間はまわりの人間にため息をつかせるのが得意なのだ。東野さんもため息を吐きまくっていたし、間違いない。



「まあ、言えるのは極力関わるな、関わっても最低限に抑える、これよ」

 つきあっても餅はうまれないため息合戦を経て、新井はこうまとめた。

「そこから先は自己責任よ。もちろん、マスコミが使うような安っぽいものじゃなくて、ね。啓介君ならわかるでしょこれくらい」
「まあ、な。栄一みたくバカじゃあない」
「ならいいわよ、言いたいことはこれだけだから」
「ん」

 頼んだ料理はもうない。二人揃って温いアイスティーを飲み干すと、グラスの中には何も残らなかった。
 店内の時計は17時を指している。

「で、この後どうするの?」
「べっつにー今日は暇だ、いや暇な日であってほしい」
「言ってることが年寄り臭いわよ」
「ぐはっ……昨日も同じこと言われたっての」
「誰だってそう思うわよ」
「それ、めちゃくちゃ言ってることきついからな」
「意識して言ってるんだから当然じゃない」
「最悪だな……」

 適当な会話を経て解散、というところで昨日聞いたような声が横から飛んできた。

「あらーゆっきーに君は昨日の年寄り臭い啓介君じゃない? 奇遇ね~」

 耳に飛び込んできた瞬間、俺と新井はため息を吐いた。



「信じあえる喜びを~♪」

 何故かカラオケ館。何故かハイパージョイ。何故かELT。何故かTime goes by。全ての行為主はバカ女こと東野雫嬢であり、気持ち良さそうに歌ってたりする。
 どちらかと言わなくても被害者っぽい俺と新井は共にこめかみに指を当て、ある種の頭痛に耐えている。
 頭痛の原因は単純な疑問。

“なぜ、カラオケにいるのか?”

 多少プレイバック。

 さっきの店内で雫嬢に発見され、何故か「ずるい! カラオケにいくよっ!」とかよくわからないことを唐突に言われ、数十メートル離れたカラオケ館に連れ込まれ、現在に至る。
 多少も何も、わずかだった。

 ちなみに、割り当てられた部屋は3人なのに15人オーバー可能なでかい部屋。片一面がほぼ全て窓ガラス。ここまでくるとなんでもこいという気持ちになれるが、むしろそう思えること自体が悲しい。開き直りは、使用用法を守って正しくお使いくださいだな。

「次、どっちが先に曲いれる?」
「……お先にどうぞ」

 きっと俺と同じ思考経路を経た新井が尋ねてくるが、歌えるほどまでは回復してないので譲ることにする。

「こういうときこそ臨機応変によ」

 曲を入れながら言う新井の顔は、ある種の極致に至っていた。



 臨機応変に、という魔法のコトバを信じ、新井に続いて適当に曲を入れる。よくよく考えればカラオケってのはストレス発散装置なのであり、装置を目の前にして疲れているというのではカラオケ開発者に失礼だ。誰が開発したかは未だに裁判沙汰なのでノーコメントだが。

 気付けば、それなりに歌えていた(意外なことに、へたくそではなかった)雫の歌が終わり、新井が大塚愛のさくらんぼを歌いだしていた。ちなみに歌う当人(の性格とか)とのギャップについてもノーコメント。

「啓介君てゆっきーと知り合いだったんだー」

 本人的には満足に歌えたのか雫は機嫌よく俺に聞いてくる。

「逆にそっちが新井と知り合いってのが驚くっての。というか、今日は仕事ないのかよ?」
「アレはある時にはあるしない時にはないのよ。大体毎日駆け回ってたら死んじゃうでしょー」
「……そりゃそうだ」

 物騒なセカイを逃げ回ったことを思い出す。あんなのが毎日だったら、そりゃ死ぬなと納得。疲労からも、銃弾からも殺されかねない。

「だから休みの日は息抜きしようとファミレスに行ったら、ゆっきーと啓介君がラブラブなのを見つけたから邪魔をしようかなーって」

 俺が机に頭をぶつけるのと新井がマイクを壁に投げつけるのはほぼ同時だった。



『あんたについて愚痴ってた(んだっ/のよっ)!』

 おっそろしい事実誤認という名の破壊から回復して、俺らは同時にツッコミを入れていた。新井は当然放り出したマイクを握り直しての発言なので、俺より遥かに大きい声量となる。まさか歌の途中で強烈なツッコミが入るとはかの大塚愛も思うまい。

「つまんない……ってよく考えたら話題に上がる私って人気者?」
「絶対、違うからな」

 はふうとため息をつく。
 ふと見ると戦友はさくらんぼの世界に逃げ込んでしまったので、俺しか反撃を行なえない。
 はやくこい、俺の番。

「無駄話はさておき」

 ……祈っても、来るわけがない。

「啓介君を見込んで頼みがあるのよ」

 ……代わりにとてつもないミサイルがやってきた。新井の眉がぴくりと揺れたことも見逃せない。
 ミサイルは、爆発するとどうなる?

「な、なんだよ?」
「私、お金もってないの」

 ……核弾頭搭載と思われたミサイルは、実はVXガス噴射機搭載だった。そんな感じがした。



「……何で金もってないのにカラオケに連れてくるんだよ……」
「だって歌いたかったんだもん!」
「ガキかよ……」

 ふう、と疲れと共に息を吐く。振り返ればここ2日間ため息をついてばかりな気がする。何日分寿命が縮んだのだろう。考えるだけ無駄だし考えたくもない。

「ガキって何よガキって!?」
「いやどう考えたってガキの論理だろうが……」
「私はガキじゃなーい!」

 ムキになるところがな、なんて言ったりしたら水の掛け合いになってしまうのは目に見えているので言わない。なのに響き止まない喚き声の横では「愛し合う~」と我関せずで歌う奴がいて。ある意味全てか非現実。ものすごくシュール。

 ……シュールすぎて頭が痛い。早く現実に目を覚まさせてくれ具体的には早く俺の番よこい。

 ――祈りは、通じた。

「ふう、歌った歌ったー」

 桜の花がようやく散った。
 割り込みやら取り消しやら、非人道的な妨害もなく、待ち望んだイントロが流れだす。

「……さくらんぼの次がTrain―Train……すごいギャップね」

 何も聞こえぬフリして歌いだした。



 わけわからないカラオケが終わる頃、時計の針は19時を指していた。なんやかんやでかなりの時間を歌っているわけだから俺の適応力もなかなかのものであろう。自慢はできないが。
 何故だか3人分を支払い(本当に何故?)店外へ。空調の悪い室内に比べ、一瞬だが清々しさを覚える。

「あー歌った歌ったー! 満足満足~」
「他人様のお金だから、余計に感じるでしょうね」
「新井、お前が言うなお前が」

 あくまで一瞬、だった。後には懐の淋しさが残る。

「んじゃ私はこの後用事があるからこの辺で。時間潰しに付き合ってくれてありがと」
「時間潰しだったのかっ!?」
「次の仕事が夜だったから微妙に時間が開いてたのよーじゃ、マジで時間やばくなるから。ゆっきーに啓介君またねー」

 登場時ならびに前回の退場時同様、雫は嵐の如く立ち去る。こっちはぽかーんと見送るのが精一杯だが、新井は慣れたものだろう、やれやれと大げさに手振りしため息を吐く。
 そして一言。

「捨てられた男……」
「ちげぇっ! んな負け犬に思える嘘は止めてくれ!」
「軽い冗談よ。スパイスは必要じゃない?」
「胃もたれしそうなのはいらない……」

 吐息の固まりが、浮かんで消えた。



 新井ともまた明日と言って別れ、家路を歩く。途中で冷蔵庫の中身があまりないことを思い出し、スーパーで卵などを買う。
 片手にビニール袋、片手に学校の鞄という構図は見逃せない程度に違和感を周囲に放つが、もう慣れた。おかげでレジのおばちゃんや各売場の店員とも話したりする仲だ。世帯じみてきた自分が、少しだけ笑える。

 家に着いて真っ先に買ったものを冷蔵庫に放り込み、着替えなり衛生気配りなどを終えてから晩飯の準備を始める。三宅さんが頭に何故か浮かんだから、マーボー豆腐。我ながら単純。

 ちゃっちゃとメインに春雨サラダ、スープを作り上げたタイミングに、炊飯器がホイッスルをならす。
 夕刊を広げながら一人だけのささやかな晩餐を楽しむ。
 なんやかんやで今日もまた疲れた日だった。だけど、財布の中身が寂しくなったりしたわりには楽しかった、かもしれない。昨日の非現実的世界よりは近いセカイ。

 ……なるほど、新井の言うとおり、適度なスパイスも必要。

 果たして俺の求めるスパイスは? 残念ながら豆板醤では物足りなかった。


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